その怒りを羨望すべきか(8)



一通りの観察を終え、俺は無言で腕を引く。
くん、くん、と自分に引きつけるようにすると、改めて匂坂を殴る意志がない、と判断したのか、美形氏は四阿の柱越しに捕らえていた俺の腕をようやく解放した。

「…ごめんね。少し強く掴み過ぎた。見てられなくて、つい、ね」

艶やかな髪を退けるように首を振り、今度ははっきりと微笑む。女子が居たら間違いなく釘付けの、百パーセント完璧な微笑みだ。
同性の俺だって、ちょっと心拍数が怪しくなったくらいだ。しかも錯覚だと思うが、彼の周りが何か、キラキラっとした。何だこの効果は。

「…落ち着いた?」

吐息が僅かに混ざったような腰に来る甘い声だ。通常会話ですら色々無駄遣いしている感を抱かせる。難儀な。
返答に困った俺は取りあえず、「はあ」と答えた。月とすっぽん的な遣り取りだが他に返事のしようがない。落ち着いた、というよりは、驚き過ぎて強制的に思考停止しただけだ。
そう考えると俺の怒りって大したことないのか?ああ、さらに自分が厭になりそうな事実発見だ。

「大丈夫…?気分、悪い?」
「や、へいき」解放された手をひらひらと振って応える。「ちょっとへこんだだけで、なんてことない」

美形氏は「そお」とにっこり笑い、今度は俺の後ろに突っ立ったままの匂坂へ「大丈夫?」と声を掛けた。

「…じ、さま」
「ん?」
「……おい」

俺の聞き間違いで無ければ「オウジサマ」と聞こえたぞ、匂坂よ。サトルさんはどうした、サトルさんは。俺の怒りも大概瞬間湯沸かし器だが、あんたの宗旨替えもマッハ過ぎやしないか。それが恋ってやつなのか。

俺の肩に引っ掛かっていた匂坂の指は、鎖骨のあたりを滑って、力なく落ちる。と同時に、彼は体ごとへたへたと座り込んでしまった。こぼれ落ちそうなほど大きく瞠られた目は、ひたり、と美形氏に据えられている。瞬きの度、潤みが増していく。

「ええと…」

美形氏は困ったようにふにゃ、と眉尻を下げた。それすら偉く様になるので恐ろしい。女子が見たら、総出で助けに掛かろうとするに違いない。却って状況が悪化しそうなくらい、助け船を出しまくること請け合いである。
特進科、男子校で良かったな。同性でも構わないやつも居るみたいだけれど。

「彼は、君の友達?」
「違う」

断固として否定するぞ。例え人非人と思われても、俺は事実を主張する。

「友達じゃない。…知り合いかもしれないけど、違う」
「そうなんだ」
「そう」

淡々と頷くと、彼は少し考える素振りを見せて、それから「分かった」と言った。

「少し気分が悪そうだから、オレが付き添うよ。同じ特進だし。…君は、普通科?」
「あー、うん。そう」
「ふうん」

見て分かるだろ、と言いかけたが憎まれ口っぽく聞こえるかもしれないので止めた。それにポロシャツと黒のスラックスでは、特進科か普通科か、判断に迷うのは確かだ。特進科の制服は中間服の他、式典用だの平時用だの、バリエーションが幾つかある、らしい。

「ね、もし良かったら…」

彼は言いながら、何を思ったのか俺の顔を覗き込んだ。
黒澤と似たり寄ったりの身長に見えた美形氏は、上体を捻るように倒して横から俺に近接した。ふわり、と爽やかな香りが二重に囲い込んでくる。何だ、これ。香水か?

「…っ」
「名前、教えて」
「!……う、わ…」

近い近い近い!長い睫毛が俺のそれと触れあうほどに寄られて、慌てて後退り、匂坂の何処かを踏んづけた。
さらに慌てて踵をずらしたけれど、ちら、と見下ろした美少年からは特段の反応は伺えない。相も変わらず陶然とミルクティーな美形氏を見つめている。瞬きをちゃんとしないとドライアイになりますよ、君。

「ダメ?」

小首を傾げて、少し弱ったような表情をされると、笑顔より破壊力がある。俺は口を開き、閉じ、開き、を情けなくも幾度か繰り返した後、

首を振った―――――縦に。

「もう行くから」それから少し考えて、喋った。
「…ええと、止めてくれてありがと。頭に血がのぼってた。阿呆なことになる前で助かった」
「どういたしまして」と彼。
「助かったついでに、お言葉に甘えてこいつの面倒頼むよ」

匂坂はすっかり放心状態だ。自力で立ち上がる様子は塵ほども見受けられなかった。

「あー、こいつの名前は匂坂って言う。見ての通り特進で、クラスは俺も知らない」
「君の名前は、おしえてくれないの?」

匂坂を一瞥した後、こちらが面食らうくらいの率直さで彼は問うてきた。

「この彼の具合のこともあるし。君は違う、と言ったけれども、彼は君のことを友達と思っているかもしれない」
「それだけは絶対にない。―――あんたには悪いけど…」

止めに入ったのなら何かの縁だと思って、というのはあまりにも身勝手な押し付け、だろうな。でもこの際だから全力で好意に甘えるぞ。匂坂の阿呆との決着は近日中につけてやる、が、今日はもう厭だ!


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