名前の無い少年(5)





「しつぼうしたか」
「…失望なんて…、」

そんなのは勝手に期待をして、勝手にがっかりする押し付けの感情だ。

「おれはおまえにしつぼうしてほしいとおもっている」
「はぁ?」

黒い袖から伸びた両手でもって、俺が下ろした手を包むと、絵画の騎士がするみたいな仕草でそっと押し戴いた。額が触れる手の甲の部分がじわ、と熱くなる。彼はしばらくそうした後で、俺の手をひっくり返して、またしても、舐めた。

「……っ、…」

火傷の痕が愛おしそうに舌で辿られる。背筋に奔るのは、嫌悪じゃない―――真逆の感覚だと分かった瞬間、羞恥と混乱で彼を振り払おうとした。そして、挫折した。
彼は俺を、圧倒的なまでの力の強さで拘束していた。大して力を込めた風でもないのに、手首は全然動かない。さり、さり、と獣のように赤く皮膚が引き攣れたところを舐められ続け、温い感触に追い詰められていく。

「くれるか」
「…なに、っ……を」
「こんど、あうときまでに、おれが手にいれていたら」

伏せたままなのでどんな顔をしているのかが分からない。それを知りたいと思う。だって俺の好きなテノールは、ひどく大切なことを告白する真摯さに満ちていたからだ。そういう大切な話をする時は必ず相手の目を見なさい、って母さんは言っていた。

顔を上げてくれ。あんたの顔が見たいんだ。きちんとあんたを知りたいから、隠さないでいいと思えるものがあるのなら、見せて欲しい。
そう言うと、舌は火傷の痕からずれて、付け根から親指をぱくりとくわえた。『  』のときのような、恐怖感はない。(『  』?『  』って、なんだ?)
心臓が凄い勢いで血を送り出しているのが分かる。今絶対に顔、赤い。絞り出すようなか細い声で、俺は応える。これだけは、言っておいてやらないと駄目だ。

「…あんたに欲しいものがあるなら、そうすればいい」

でも、一体全体、欲しいものって何なんだ?
彼はわかった、と返事をした。それから、名残惜しそうに口脣を離して内緒話でもするかのように俺の耳へと口を寄せる。がさ、とフードが前髪を薙ぐ音がして、彼が何と言ったのかがうまく聞き取れない。




(繰り返すけれども、こういうのは嵐みたいなもので、一過性のものだ。時間が経てばすべてなかったことになる)
(『彼』もそれを希んだ)
(だから俺の中で、記憶は切断され、整理され、いくばくかの欠片を残し、後はさっぱりと棄てられてしまった。)


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