そして世界は征服される






昼休み手前、三限の休み時間に俺は席を立って教室を出ようとしていた。
深緑とか初夏とか言えば爽やかに聞こえるが、実際は梅雨真っ盛りだ。じめじめして、湿気が凄くて、止めに暑い。これからの夏本番が不安になるくらいの高気温である。
今日だって雨こそ降っていないものの、日本の尻尾で鋭意成育中の台風が、島国の下半分をじっとり蒸している。明日になれば雨と雷がお手々繋いでやってくる筈だ。

お陰で俺のナイーブかつセンシティブな髪の毛は見るも哀れな惨状を呈している。
あまりの扱いづらさに、このほど、ついに縮毛矯正なるものをかけてみた。なけなしの小遣いは吹っ飛んだが、きっとその甲斐はある筈だ。超夜型人間の俺を苦しめる、朝のブローアンドムースともおさらばである。これで効果がなかったら、あの美容院、呪うぜ。

「マチ〜」

耳に心地よく揺れる直毛に内心でにやつきながら、敷居を踏んだところだった。
縮毛矯正って何それ美味しいの、むしろ美容院なんて行ったことがあるのかすら、怪しい。ぐるぐるの癖毛をさらに鳥の巣にした男が、蛇行しながらついてくる。

「あんだよ」
「クォバディス〜」
「え、ああ、学食。普通科の学食にさ、アイスバナナあるらしいんだよ」と、背後の糸居を振り返る。
「先輩から聞いたんだ。クソ暑いし、次自習だし。ちょっと買いに行こうかなって思って」
「お」

普段は半眼の眠たげな目がかっと開く。思わず笑って、奴の肩を軽く小突いた。

「世紀の大発見かっつうの」
「お供つかまつりたくそうろう」
「おー行こ行こ。…つかお前金もってんの?」

持ってないから奢ってくれとか言われたら叶わない。すると友人はずるったいスラックスのポケットを軽く叩いて見せた。小銭が中でちゃりちゃりと鳴る。親父か。

「見ないで中に幾ら入ってるか数えんの」

おもろいよ、なんて気の抜けた笑顔を浮かべる相手に、そういえばそんな事を言ってたっけな、と頷き返した。
こいつ、バッテリーの蓄電量も分かるんだよな。充電してあるとか、してないとか、どうみても同じ黒いプラスチックの塊なのに、実際糸居が指摘した方を電子秤に乗せたら、マジでそっちが重かった。天才なのか野性なのか、時々分からなくなる。
どっちでもいいけどさ。


普通科は上履きだからスリッパに履き替えるのかったりいな、とか、数学の期末考査、どこらへんが出ると思う、なんてたわいのない会話をしつつ、肩を並べて歩いた。

俺と糸居の付き合いは、高校の入学式から数えて二年目になる。エスカレータの糸居と、外部入学の俺。きっかけは開式前、便所帰りに迷っちまった俺が、廊下でぶっ倒れてた、もとい、爆睡していた糸居新入生代表を拾ったことに始まる。

日夏学園は普通科と特進科の二学科に分かれていて、入学式と卒業式の挨拶を、それぞれが交互に担当しているそうだ。俺たちのときは新入生代表挨拶を特進がやることになっていたが、この男が冷たい廊下ですやすや眠っていた御陰で、結局は次席が代役を務めた曰く付きの年である。
開校以来の神童、格好の広告塔だともてはやされていたところを、中三の時の担任だけが「絶対糸居に代表挨拶をやらせるな」と猛反対していたらしい。およそ教師らしからぬ発言だが、このときばかりは当たっちまったわけだ。

「でさー、マジでないわけよ、あの単元全出しとか。だってここからここまで読んでおけ、としか言ってなかったじゃん」
「……」
「おい、聞いてんのかよ糸居。…糸居?」

話が途切れたな、と思ってふと見れば、俺から数歩先に進んでいた友人は今しも柱に熱烈なキスをかまそうとしていた。慌てて小走りに追い掛け、襟首を掴む。よれよれのポロシャツがびろんと伸びた。

「おま、歩くときは寝るなって言ってんだろお」
「だって暑い〜」

暑いと歩きながら寝てもオッケーっつう相関関係が見出せないんだが。頼む、俺にも分かり易く説明してくれ。言われてもわかんねえ可能性大だけれど。
取りあえずすべきことは、冷えたコンクリートへカブト虫みたいにしがみつきかねないこの男を引っぺがすことだ。まさかとは思うが、衝突しそうになってたんじゃなくて、自ら率先してくっつこうとしてたんじゃあるまいな。

俺の方が少しは背が高いが、そこまで体格に差があるわけでもない相手、しかも同性を引き摺って歩くのは至難の業だった。アイスバナナにありつく前に校内で遭難しちまうんじゃなかろうか。俺が引っ張ると見るや、途端に体重を掛け始めた糸居を、脅し、宥め、賺し(どれも全く効果がない)つつ必死に脚を動かす。すると、後ろからくすくす笑いが聞こえてきた。

「毎度毎度、ご苦労さん」と、妙になめらかな声が言い、
「お前ほんとよくやるわ」と、こらきれない笑いを含ませながら、同い年にしてはやたらとハスキーな色気のある声が言う。

振り返れば、我らが久馬組の御大将とその連れ、
―――久馬忍と、白柳壱成のイケメンふたりが、無駄に周囲の注目を浴びながら佇んでいた。








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