(2)
「うわっ、…埃っぽいな」
「…煌々」
物思いを破る軽い足音と共に訪れた来客は、動作に合わせて舞い飛ぶ塵に口元を覆った。
開いた扉のこちら側に立っているのは顰めっ面をした金髪の少年であった。やや痩せた体躯の、十を少し越えたくらいの外見をしている。頭の回転が速く、身のこなしも軽そうな、餓鬼大将然とした印象を与える彼は、春苑でも指折りの理力をもった花精だ。
煌々のはしっこそうな目が、ぼんやりと突っ立っている俺を見咎めるみたいにその眼力を強くした。
「お前さ、伎良。相当顔色悪いぜ。…なんつうか、影薄い」
「分かっている」
「分かってる、って。そこ認められちまうと『寝ろ』『喰え』くらいしか言えないんだけど」
「…悪い」
影が薄いのは生まれつきかもしれない。ただ、短い生を顧みてもかつてない感覚に支配されているのは事実だ。倦怠感、それと、妙に足元がふわふわする。薄氷を渉っているような具合だ。花餅をはもうが、水を飲もうが、体に力が戻ってこない。こんな経験は初めてだ。初めてだが、まずい状況だということだけは分かる。
「この布」
「うん?」
畳んだ白布を示しながら訊いた。
「煌々が掛けてくれたのか。―――あと、灯明の油と蝋燭も」
「あー、まあ、な」と煌々。半詰めの襟元を落ち着かなげにくしゃくしゃと乱した。「帰ってくるって分かってたし。花喰人はともかくお前が難儀するのはさ、同族としてもほら、気分悪ぃし」
「すまない。…ありがとう」
軽く頭を下げると、まるで悪戯が見つかった小僧のような狼狽振りをみせるのがおかしい。笑みがつい浮かんだ。
「そう正面切って礼言われると照れるって」
「…奉城と眉城の報告は今日明日のうちに始末をつける。少しここを片付けたら万廻の部屋に戻るが、…何かあったのか」
「何か、っていうか」
今ひとつ煮え切らない物言いと、態度に内心で首を傾げた。煌々にしては歯切れが悪過ぎる。手にした布巾を適当に机へ放り、小柄な姿へと歩み寄った。
日が天頂に昇った頃合いを見、一呼吸入れようということになり散会したのだ。まさか脱走を案じて追ってきたのだろうか。周霖じゃあるまいし、心配される要素は欠片もないのだが。
「…万廻の前じゃちょっと話し難かったからよ。つうか、ふたりっきりのときに言いたかったから」
話がある、という。随分と改まった切り出し方だ。拭いたばかりの椅子を勧めたが、山吹は否と首を振った。
込み入っているが、くつろぎながらしたい内容では無いということなのか。仕方なしに互いに立ったまま向かい合う。
「その様子ではあまり楽しい話題じゃ無さそうだな」
自然、顔も強張ろうというものだ。周霖に免職の令が下りる兆しでもあるのだろうか。
―――有り得ないことではなかった。
今回庭府に戻ってきたのは、本来の執務を放り出して景陵の外に出、蟲狩りに勤しんでいたのを咎められた故だ。俺が重症を負ったのもいけなかった。
上司である大夫、世高(せいこう)さまから下された沙汰は都の外を出るに能わず、つまりは半謹慎。これで周霖が出歩ける場所は景陵の中のみになった。大人しく出仕してくれれば万事丸く収まるのだが、まず無理だ。付き合いの浅い俺にだって、つがいの行き先は想像に容易い。
「…とりなしを」
「えっ」
「世高さまの所に行く。もし叶うのなら、執政か千里さまにお逢いして直接に詫びようと思う」
以前より危惧していたことがついにきたのか、という思いだった。
周霖から剣鉈を奪ったら、そうしたら彼に残るのは何だ?あの凶暴なまでの力の行き所は何処へ落ち着く?
…絶対に、避けなければ。
「大夫に、…いや、まず万廻に迷惑を掛けているのは重々承知している。つがいである俺の至らなさもあるのだ。だが今、周霖から花護の役を取り上げないで欲しい」
「いや、ちょっと待て、」
「そういう話ではないのか、煌々」
既に一歩を踏み出した俺を、煌々は慌てて己が身でもって遮った。深い紺青の袖が通せんぼうをする。見下ろすとしばしの後に視線を逸らされた。勇み足だったようだが、悪い報せであることには変わりなさそうだ。
「…万廻は。あいつはクソがつくほどのお人好しだから、たとえ上が花喰人を罷免しようとしたところで、全力で止めに掛かるさ。それこそ、自分の職を賭してもな。俺にしてみりゃ残念なこった」
「…はは、」
確かにその通りだ。あんなに面倒事を背負い込んでいるにも関わらず、万廻は周霖を厭うてはいない。むしろ、家柄身分に囚われない巫祝の民だからか、周霖の花護としての素質を率直に高く評価してくれている。
「安心しろ。少なくともうちのから、その手のご注進が行くこたぁねえ」
「そうか」
では、一体何の話だ?目線を合わせるべくその場でしゃがんだ。ずっと見下ろし続けるのも芳しくないだろう。そう思っての行動だったが、山吹はぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「お前、やめろよな。餓鬼扱いか」
「そんなつもりはない。この方が話易いかと思って…」
「……」
「煌々?」
クソ、とか、言い辛いとか、小さな口脣がごにょごにょと躊躇う。ついに意を決したらしき彼の台詞に、今度は俺が口を噤む番だった。
「お前さあ、…謝周霖との番、解消しろよ」
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