布帛(ふはく)




日除け布を巻き上げると陽光に照らされた塵がきらきら光る。箔紙のようにちらつくそれらを、目を細め眺めてのち、景陵の景色を、久々に踏み入る周霖の部屋を見渡した。

格子窓からの家並みは万廻の所で見たものと勿論変わらない。
濃い緑の木々がそこかしこに鮮やかな彩りを添え、水路は澄んだ流れを街へ巡らす。大路を挟んで建つ商店の、少し奥へ入れば池や楼閣を備えた旗人の邸宅がある。城壁のほど近くは藍旗、蒼旗といった中位、下位の旗人たちと民の住まいが集まっていた。延々と伸びる壁の影の下、褪せた色合いの瓦が隙間を惜しむように埋め尽くしていた。
舗装された道を人々や牛馬が慌ただしく行き交う。黄や紫、薄紅に染められた花精の衣服が翻るさまは花弁が開くかのよう。彼らを振り仰ぐひとの子の瞳は、憧憬と希望とに輝いているのだろう。
秋廼からやってきた行商なのか、威勢の良い物売りの声が市場を賑やかす。旗人の妻女を乗せたらしき庇車まで停まり、大した騒ぎになっている。

すべて春の庭のあるじ、春御方(はるのおんかた)の加護の下に保たれている世界だ。
その力をさながら血流のごとく引き導くのが執政であり、百花王。幾代も続く柳の記憶は三者のちからの大きさも、街の眺めも今昔寸分違わぬのだと教えてくれる。
四つの庭において最もうつくしく、満たされた庭。春苑。花精として微力ながら世界を支えている筈なのに、この空虚さはどうだ。確かに娶された、嫁いだのに、花護とこころを通わせることすら出来ない己は果たしてまともな柳精と言えるのか。姶濱と番っていた時分、一顧だにしなかった思いに囚われてしまいそうだ。
誰に聞かれるわけでもないが、溜息を押し殺し、窓に背を向けた。代わって俺を出迎えるのは静閑に沈んだ執務室である。

つくりは同じであるものの、活気の失せた有様は万廻の部屋と好対照だろう。
机、書棚、刀掛けの台、ありとあらゆる家具の上に薄く皮膜のような埃が積もっている。来客用の卓には逆さまになった椅子が乗せられ、さらには大きな白布が被せてあった。宮城の誰かが見かねて埃よけに掛けたのかもしれない。大方、煌々(きらら)あたりの仕業だろう。口は悪いし辛辣なことも言うが、彼はとても面倒見が良い花精なのだ。
そっと布の端を引くと、艶やかな木の天板が現れた。映り込む、表情のない己の像は微かに歪んでいる。

本来ならば庭府に残した部下や気の置けない宮人に命じて、文書の整理だの掃除だのを頼むところなのだが、生憎と周霖にそんな相手はいない。不在時に配下の者が部屋に入ることを彼は嫌った。大して使いもしていないのに関わらず、だ。
結果、執務室は淡々と荒れ続け、時折こうして俺が帰ってくるまでほとんど締め切りの状態になっている。
小窓を開き、外の風を呼び込んだ。棚にあった布巾を手にそこらじゅうを拭きながら、納戸に箒があったことを思い出す。今日のところは周霖の登庁は望めなさそうだ。となれば、少し手間を掛けて掃除ができる。下手を打つとこの滞在の間、あるじが部屋を訪うことはない。そのときは俺の心配も清掃に掛けた時間も徒労に終わるのだろう。

「……」

絨毯を踏み外れるたび、靴音がいやに響いて聞こえる。
かつん、かつん。
頭を振った。そんな動きひとつで衣のごとく貼り付く倦みがとれようはずもない。
花護との関係がうまくいかないと花精は弱るものだ。医女は明言しなかったけれども、自分の体だ、徐々に傷の治りが悪くなっていることくらい自覚出来る。
花とひととの間に立つ我々、花精は人形(じんぎょう)を保つ素(そ)を、つがいから得るのだとされる。理のちからが滞ると、次第に衰弱していき、ついには枯れるのだ―――かつて、樒(しきみ)や唐桃がそうであったように。



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