瑕疵(かし)



周霖(しゅうりん)が、起きない。



「……」

狭苦しい官舎の一室で、俺は目を醒ます。
眠りの気配は薄い煙のように、すぐに消え去って、代わりにやってくるのは春苑の、爽涼な朝だ。四角く切り取られた窓の外には澄み切った青い空。雲は少なく、庭木のあちこちから鳥のさえずりが聞こえる。

体を起こし、夜着の前を整えて、傍らを見た。そこには、金茶の髪を枕に広げ、引き締まった巨躯を長々と横たえた男がいる。

「…よく寝てるな…」

謝家(しゃけ)の周霖。以前のつがいを弔って後、俺が得た二人目の花護だ。
彼に嫁いで実に三月が過ぎたが、こうして政庁のある土地で寝起きをするのは初めてに思う。
なにせ、「娶せの儀」から数日後には既に、地方へ出向いて蟲狩りをしていた。夜を徹して森を歩き回った日もあった、洞を見つけて野宿することだって一度や二度じゃ済まされなかった。

前のつがい、姶濱(あいびん)は内勤が専らだったので、俺にとって本格的な蟲狩りは周霖との勤めが初めてである。
嫁ぐ花護によっては延々と外地を巡る――それこそ巡境使の役だ――ことも有り得るわけで、花精として生を受けたからにはいつかは訪れる機会だった。

だが、…如何せん状況は厳しい。

春苑はすべての庭の中で最も平和であるという。
人が住んでいるところからは大概の蟲が駆逐されている。けれど少数ながら生息する蟲たちはどれも凶悪かつ強大で、奴らの住まう辺境は余程の事がなければ人間が踏み入ることはない。
卵の季節や、大量発生で森から連中が出てきたときに限ってはそれこそ、中央から人を募って大規模な狩りが行われる。
周霖はそうした所へ好んで赴くのである。娶られる前から噂は聞き及んでいたが、実際に己の身に起こるとここまで壮絶なものとは思わなかった。

初めて経験することでも大抵は、永く続く柳の記憶で何とかなる。
けれど戦いの経験というやつは些か種類が異なるようで、攻撃の機とか、咄嗟の勘みたいなものは先人からの恩恵だけではどうにも済まないみたいだ。
御陰で俺は生傷が絶えず、下手をすれば死にかけ、驚いた都察院がわざわざ医士を派遣する騒ぎにまでなった。周霖はひたすらに嘲るのみだ。糞の役にも立ちやしねえ、なんて文句はお馴染みで、舌打ち、唾を吐きかけられるなどは日常茶飯事だ。やはり自分は、唐桃精よりも格段に劣るらしい。分かってはいたけれど、改めてつがいから告げられると相当に落ち込む。


今も詰めた単衣の下、胸のあちこちに青痣が浮いている。
先だって、百足蟲とやりあった際に、周霖が刎ね飛ばした敵の胴体を避け損ね、下敷きになったときの傷だ。百足の脚が落ちた場所は杭を穿ったような痣が出来て、首輪もそのとき何処かへ飛んだきりだ。駆け出しの花護が金もなく購うような、革製の簡素な首輪だったが、俺にとっては大切な品だ。血泥にまみれても探したかった。

その願いが叶わなかった理由はご大層なもんじゃない。昏倒して俺が意識を失ったのがいけない。

医女の―――確か、恬子(てんこ)と名乗ったか、彼女によればひっくり返った俺を周霖が担いで宿まで帰ってきたのだそうで、首輪もきっと百足蟲と一緒に焼かれてしまっただろう、ということだった。
周霖のそうした行状は過去、度々繰り返されていて、あまりに目に余ると上から半謹慎の沙汰が下される模様だ。謹慎が解けると、また外地へ出て行く。そうして蟲を狩り、花精を殺し、景陵へ連れ戻される。花護の籍を剥奪されずに済んでいるのは、彼の行いの結果、蟲を狩っているという事実それ自体は歓迎されているということ、もう一つは謝家の権勢故だとか。

友人が、口にしていた周霖の仇名を思い出す。


人々は、花精は。
非難を込めて彼をそのように呼ぶ―――



花喰人(はなくいびと)、と。





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