(10)



「…姶濱は大した花護だな」
「…うん?」
「部署違いだから逢ったことはねえけど、…花精にとって、初めてつがう花護は特別だ。性格とか、考え方とか、結構影響される。伎良がぺーぺーの割に落ち着いてんのは姶濱の御陰かもしらん」
「……」

周霖のつがう前、胎宮(はらみや)の門番である蓮華精にも指摘されたことだ。曖昧に頷く。友人の言うように、俺にとってつがいの比較対象は、姶濱と周霖のふたりきりだ。だから姶濱がすごい、とか、周霖が特別おかしい、とか、即断できない。
しかも、現在、番っているのは謝家の周霖である。
前に嫁いだ花護を大切に思う気持ちは確かにあるが、現在の相手と比べるべくもない。死別にしろ、ふいの離縁にしろ、深すぎる執着は禁物だ。だから花精は、別れた花護に与えられた首輪を捨て、娶せの儀に臨む。つがいを侮られて激昂するのが俺たちの本能であるなら、非情なほどの永訣もまた、同じなのだ。


ただ、今はその正論をぶつけるのは違うように思った。互いに分かりきっていることを、ねちねちあげつらう必要はないだろう。代わりに、俺はもう一度礼をのべ、「それを言うなら、お前の一のあるじもそうだったんだろう」と返した。案の定、友人は照れ隠しに口脣をひん曲げた。

「どうだか。鼻嚼んだちり紙みてえな、へっぼい奴だったぜ」
「酷い言いざまだ」
「あーあ、万廻の真面目さと、お前んとこのアホの強さと、世高の愛想のよさがうまく混ざったような花護が居たら最高なのになァ」
「…無茶言うな」

ぽつ、ぽつりと。どうでもいい会話をしながら部屋の端々を眺める。一から掃除のやり直した。衣袍も着替えなければいけないだろう。袖なんてぼろぼろだ。これで午後、万廻のところに行こうものなら、俺も煌々も、心配通りこして詰問間違い無しである。
周霖が来ないことが却って倖いした、と正直な感想を漏らすと、山吹は馬鹿笑いだ。

「―――あ、悪ぃ。花喰人の机、また穴あけちまった」
「え…」

指差す方向を見れば、電撃の余波か、風に巻き上げられた家具がぶつかったのか、執務机の側面に無惨な凹みが出来ている。管財に頼んで取り替えて貰わなくては。いや、むしろ修理を試みた方が良いのか。壊れた理由を正直に話せば、今度は官吏と一悶着起こしてしまいそうだ。

「…『また』?」

目先の面倒に思考を持って行かれて、危うく聞き逃すところだった。また?

「前にも、あったのか?」

俺の記憶のある限り、煌々がこの部屋にやってきた回数は極僅かで、机に大穴があいたのは今回が初めてだ(そう頻繁にあっても困る)。

「淡露の前の、唐桃にも持ち掛けた、つったろ。さっき」
「離縁の話か」
「そ」

にやにや笑いを浮かべていた彼は、やがて投げ遣りな所作で床へ大の字になった。視線は天井に遷っていたけれど、実際に山吹が見ているところはもっと、遠い―――例えば過去のような場所だったのかもしれない。

「信陽って、雌の花精だった。…にこにこ笑いながら、卓ごと扉に叩きつけやがったんだ、アイツ。すっげえ馬鹿力」
「……」

両肩が外れてえらい目に遭った、とぼやく。
俺は言葉を持たず、あの、姿無き者の聾を反芻させていた。
はじめに理力。次に目、声、体躯。緩慢に崩れていく己を奮い立たせ、信陽が守ろうとしたものは何だったのか。そんなものは端からなくて、元よりすべての花精に植え付けられているお仕着せの行動にしか過ぎないのか。

周霖に逢いたいと思う、この心の在処は。



>>>END


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