(8)
「…りょう、」
「…」
「ぎりょう、おい。伎良」
「煌々…」
「ち、」と小さな舌打ち。「…やりすぎたか。へーきか。なあ」
くらくらする。
面を上げれば、屈み込む煌々の顔がごく近いところにあった。流石に彼の足は絨毯の上にあって、俺がへたり込んでいるのが高低差の原因だった。電撃で覆われた掌が頸部を打ち、避けることはおろか、勢いを殺すことも出来ず、まともに喰らってしまったらしい。
昏倒するほどではなかったが、一時、意識を飛ばしていたようだ。攻撃の瞬間、確か、煌々は「手加減する」と言っていた。本気を出されたら気絶どころじゃ済まされないからな。
襟から指を差し入れ痛む首を擦っていると、ばつが悪そうな謝罪があった。
「焦がしちゃいないから安心しろ。ちょっとばかしひりひりするだろうけど」
「ああ、…そうだな…」
「悪かったよ。調子悪ぃの知ってたのによ」
「詫びるのは、俺だ。…済まなかった。こちらこそ、やりすぎだ」
始めに手を挙げたのは俺の方なのに、煌々が申し訳なく思う必要はない。ただその配慮が彼らしくて、思わず微笑んだ。すると、少年は目尻を下げ、頬の筋肉をぐっと引き攣らせた。
「…どうした…」
「なんかもう、俺は春御方を恨むよ」
「おい」
「群青さまも、夏の帝も。…北の君もだ。どうして、庭師は花精をこんな風にしちまうんだ。おかしいだろ」
人に置き換えれば、父とも母とも想う方たちへの罵倒が突然に始まったので、慌てて煌々の口を塞ごうとした。そんな俊敏さは勿論、疲れ切った体のどこにも残ってはいない。従って、彼の文句は滔々と続いた。
「お前がかーっとなっちまったのはなァ、それは花精の本能なんだ。つがいを馬鹿にされて、むかついて、誰彼構わずボコボコにしちまいたいと思う。たとえ、花護自身に虐げられていたとしたってな」
「…はじめて、だった」
膝を立て、体の前半分を支えている体勢すら厳しくて、結局尻餅を付く。べったり座り込んで、重い頭を肩にもたせかけながら、俺はごちた。
「生まれて初めてだった。あんなに腹が立ったのも、後先考えずに力をふるいたいと…思ったのも」
先達であり、友であり、都察院に勤める同僚。煌々は俺にとって一番近しい花精だと言っても過言ではないだろう。その相手を殺そうなどと。気持ちが落ち着いてくるにつれて、己の行動が空恐ろしくなってくる。
花精は悪感情と最も程遠いところにある存在だと?馬鹿な。さきほどの俺は、負の感情「そのもの」だったじゃないか。
そうだろうよ、と煌々が首肯した。
「花精の本能ってのはな、若けりゃ若いほど強いんだ。俺とか、世高んところの阿僧祇(あそうぎ)とかな、それこそ冬の百花王みたいな大年増にもなると、すれてたっつうか、こなれたっつうか、…諦めもついてな。結構ひでえこと聞いても、わりと自制が利くもんなんだ」
牡丹のやつがしょっちゅう喧嘩をしてるのは、あれは本能じゃなくて性格だ、と少し呆れたように言い添える。
周霖の上司、大夫・世高のつがい。可憐な少女の外見とは裏腹に、高い理力と苛烈な性(さが)で有名な牡丹精、阿僧祇。山吹と双璧を成す、春苑屈指の花精だ。
世高はある事情から陰口をたたかれることも多いのだが、それがうっかり彼女の耳に入ろうものなら、まず間違いなく、噂の出元は八つ裂きにされてしまうだろう。想像に容易い話だ。
「あの嗜虐趣味女は横に置いておくけど」
友人はその現場を見たことがあるのか、甦った記憶に蓋をするように、かぶりを振った。
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