(7)




「伎良、待て。今のは冗談だ!」
「出でよ、万能の楯」

足元に巻き起こった風は言葉の通り、楯の形を取って少年に襲いかかった。窓枠に掛けられた帳が煽られて、金具の二、三が鉄弾のようにはじけ、先刻まで友人に勧めていた椅子、揃いの卓は壁際までまとめて一気に吹き飛んだ。耳を覆いたくなるほどの騒音が背後で聞こえたが、不思議と関心をおぼえなかった。

「…く」

こめかみから眦にかけて脂汗が伝い、反射的に目を細める。
ひしゃげた鞠のように、すさまじい勢いで全身の力が抜けていく。こんな力の行使の仕方は、存在すら不安定になりつつある今の俺にはどだい無理なのだ。花精の人形は花護との繋がりによって保たれる、故に繋がりが薄ければ、需要に供給が追いつかなくなるのは道理である。
きっと人間であれば、刃の矛先は異なるのだろう。俺のかたちを壊そうとしているのは周霖で、苦境から救いだそうと手をのべてくれているのは他ならぬ友であるというのに。

それでも、

(「…この、花精が」)

目の前に立つ―――こいつが、憎い。滅ぼしてしまいたい。

生まれて初めての感覚に、俺は、体と心、両方の制御を失っていたのかもしれない。
つがいを侮る者には制裁を、それは花精の法であり、権利であり、責務だ。誓約は果たされなければならない。たとえ、この首が今、しるしの輪を失っていたとしても、屠るべき相手が馴染みの友人だとしても。

ひたすら歯を食いしばり、足を踏みしめて意識を絞り込む。喉から迫り上がる唾液が苦みを帯びている。鉄錆の、とはまま聞くがこれが死の味か、と漠然と思う。全身を駆け巡る脈動の危うさに臍を噛んだ。まだだ、もう少しもってくれ。

「つ、…突き進んで、圧せよ…っ」

風の楯が少年の鼻先に迫っていた。
金の髪がわっと逆立ち、その唇が小さく震える。「馬鹿が」と呟いたように見えた。口角を真一文字に引き結んだ後、彼の発した声は凛とよく響くものだった。

「霹靂よ、我が手に宿りて爪となれ」

まばゆい光が一瞬にして導き手に集まる。身に纏う青い衣が白く灼けて見えるほどの光量だった。腕を無造作に前へ振り下ろす一挙手だけで、鞭を打ち据えたような音と共に楯が霧散した。破られた理力が逆流し、狙い過たず俺を切り裂く。衣袍の袖に刀傷に似た裂け目が出来、そこから血の玉がぷつりとうまれる。怪我自体は大したものじゃない、むしろまずいのは、集中力の立て直しが間に合わないことだ。

「う…くっ、くそっ、」

片腕で顔面を庇い、即座にもう一方で飛刀を構える。束を挟み込む指の股にぐっと力を籠めた。
理(ことわり)をのせるだけの余力も時間も、もはや残されていない。相手は名にし負う山吹の煌々だ。単純な投擲に効果がないことくらい分かっている。
理解はあったが、攻撃を止めるくさびにはなり得ず、ただ、理力を失えば刀を、刀を落としたのなら拳を、拳固が砕けるのであれば相手の喉笛を食い千切るのだ。愚かしいほどにかたく、心に決めていた。

「!」

顔と水平な高さに構えられた俺のそれに、唐突に、あまりに唐突に、ひたりと、小さな手が乗った。
―――柔らかく、やや冷たい子どもの手だ。

(「…はやい」)

憤りながらも、同時に、己の背筋がすうと凍り付いていく。

「…悪いな」

予想はしていたが、やはり愕然たる思いをもって腕の先を見遣る。
雷と同時に大気を踏むちからを操ることくらい、彼には造作ないことなのだ。
俺の着込むそれよりも明るい青衣の裾が、重さを感じさせないさまではためいている。高い天井を背に中空に浮かんだ煌々は、至極申し訳なさそうに言う。

「手加減はするけど、ちょっと荒っぽく行くぜ。さもなきゃお前、『止められない』だろ」
「うあ?!」

避けるいとまなどあろうはずもない。首の脈のあたりに痛みと衝撃が奔り、無様に呻いた。押し当てられた手から、放電のように光の欠片が舞う。鼓膜が震え、無音になる。次いで人影も周囲の景色も、すべてが圧縮された、影の塊に変じた。それらさえ、やがて閃光にしろく、しろく燃やされて消え去った。



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