(5)
「…最早、花護の任がどうこうという段階の話じゃないってことさ。時間がない。春の庭が、柳を失いかねない所まで来ているんだ」
―――『うちのからその手の注進が行くこたぁねえよ』
万廻からは無いのだと、煌々は言ったばかりだ。だが、自分も同じとは一言たりとも。
立ち尽くす彼の半身は影に沈んで昏い。一方、差し込む陽光に照らされた半顔の表情は複雑過ぎて、俺の理解の範疇外にあった。
怒り、哀しみ、同情、復讐心、他には…なんだ?どうして、他種族のことに入れ込む?眉を顰めるこちらをあくまで見ずに、彼は言葉を継いだ。口ぶりはいつもの軽調子だけれど、声は固く強張っていた。
「乃木坂のお嬢の口癖じゃないが、俺はな、伎良よ。もう我慢できねえんだよ。同胞が無為に枯らされていくのを傍観し続けるのは、もう限界だ。たとえお前自身が良くても、俺はもう耐えられねえ。人間が何とか始末をつけるだろうと放っておいたが、やめだ。」
花護の役の任免はひとの領域で、百花王ですら立ち入るのを避ける。逆に、花精と人間を番わせる「娶せの儀」に属する勤めは、庭師と深い繋がりをもつ百花王―――花精の仕事だ。
もし俺たちが花護の職を奪う手段があるとしたら、番の解消を除いて他にない。けれどそれすらも分を越えている。野心も、政治的な派閥も持ち合わせない俺たち花精が、特定の官吏を失脚させようとするだなんて。
さきほど僅かに見せた動揺を、彼は拭い去っていた。震えは既になく、厚みのない肩を怒らせ、ぐっと背筋を伸ばす。眼前に立つのは、幼い外形に、永い年を経た強かさを備えた山吹精だった。
「お前が枯れた後は、次の柳が殺される。そいつの後は、次の次の柳が同じ目に遭う。もっと酷い展開だってあるぜ?今の調子で狩りにくっついて行って、蟲に喰われたら柳は絶える。…それで、いいのか?」
花精にとってもっとも避けるべきこと。それは己の種を絶やすことだ。
蟲は草木花樹のたましいと肉体とを、何をおいても好むとされる。確かに周霖と共に辺境へ赴いた際、蟲たちはまるで標を目指すかのようにこちらへと向かって来たものだ。俺たちは人間に比べて恐怖や憎悪といった悪感情を生じにくいそうだが、あの瞬間だけは別だ。全身の筋がこわばり、足が竦み、声を上げることすら怪しくなる。連中の歯牙に掛かったら己のみならず、後継が絶えてしまう―――そんな根源的な怖ろしさだった。
ただ枯れる場合と異なり、蟲に喰われた種は存在に疵を付けられて次代の花精を立て難くなる。下手をすると絶滅することもある。蟲の少ない春苑にあっては到底考えられない状況が、周霖のつがいである限りは起こりうるのだ。
「いいか悪いかと言われたら、いいわけないさ。しかし煌々、これは柳と周霖の問題で、山吹が族には関係ないだろう。どうしてそこまで、入れ込む」
「…さあな」と彼は肩を竦めた。
「年のせいかもな。不必要に同胞が枯れちまうのが厭になった」
「蟲を狩るのは花護の勤めだろう」
「わざわざ禁区へ出向いていってまでする意味は無いだろっつてんの。蟲の多い夏渟や、花精の少ない冬園ならまだしも、ここは春御方、群青さまのおわします春の庭だ。戦もない、たまの繁殖期に掃討隊を組んで駆除すりゃいい。春苑で、何故バタバタ花精が枯れていく?―――たった一人の、人間の所為で!」
「…っ、」
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