(8)



ぎし、と寝台の端が軋む音がして、反射的に体が強張る。いくら丈夫な男の体で、植え付けられた傷が表面的に癒えていたとしても、刻みつけられた恐怖感はなかなか拭えないものだ。
実にしゃくに障る話だが、どうも、無意識にこいつの声や気配に反応しちまっているらしい。少し髪に触られただけ、よく筋の張った腕が近くへついただけで、猫みたいに半端なくびびってしまう。燕寿も燕寿で、知ってか知らずか気配を消して近寄ってきやがるし。

というわけで、奴から距離を取るべく、膝行(いざ)ってそれとなく逃げた。こちらの警戒なぞ何処吹く風、むしろ俺が空けた場所へ狙い澄ましたように燕寿は勢いよく腰を下ろした。同い年とは思いがたいよく引き締まった背中が軽く沈む。膝下ほどまである黒い軍靴に手を掛けている。

「印潭の爺どもめ、久々に逢ってきたが揃いも揃って化石同然だ。いっそ粉砕出来れば胸もすくだろうに、そうもいかないのが窮屈でしょうがない」

斜め後ろから見る秀麗な容貌は至って淡々としている。内容の物騒さが余計に際立った。

「倫は図体がでかいから、厄介な連中でも置いておかなければすぐにころげてしまう。すげ替えるのに具合のいい駒があれば俺が手を下してもいいんだがな。…有象無象の異母兄弟どもがいま少し有能だったら、兄上と謀るところを、…惜しいな」
「…おいおい、駒とかなんとかって」と俺。「すげ替えるってどういうこったよ」

粛正、の二文字が脳裏を過ぎってげっそりする。清冽さん曰くの「現執政による燕寿暗殺大計画」もそうだったが、お前らちょっとお家の機密事項を明かしすぎじゃないか。
あんまりその手の話を易々と聞かされちまうと、俺がここから出て行けない、永遠に倫の軛(くびき)から逃れられないことが確定事項みたいでさらに気分が滅入るんだが。

「どうもこうも、言葉のままだ。人手不足というものは時として人間の数が多くても起きる」

知りたくもない内情を、取るに足らないもののように喋りながら奴は軍靴を投げ捨てた。なりに重さのあるものを乱暴に落とす音が室内に響く。御曹司が聞いて呆れる行儀の悪さだ。普段は露ほども見せない、こいつの一面。


倫に来た翌々日、俺を置いてこいつは印潭の街へと出掛けていった。
正朱旗たる倫の本家はここ、庭都の火浣布(かかんぷ)にあるけれども、長老みたいな人物が印潭にいて、今回の騒動(言わずもがな、俺絡みの一件だ)の説明をしに行ったそうだ。燕寿の言う爺どもってのは、多分そのひとたちのことなんだろう。何せ、一族郎党うち揃って仮祝言の打ち合わせを始めていたらしいからな。酒だの慶事用の食い物だの、色々なものが無駄になった模様である。ざまあ。

不本意ながら騒ぎの片棒を担いでいる俺は、連れて行くと余計に展開がややこしくなる、との判断で、留守番と相成った。しかもわざわざ俺の護衛にと、清冽さんを残すというオマケつきでだ。
一方、兄貴の倫旺さんは、不肖の弟を弁護するべく一日違いで燕寿を追い掛けていった。自分のつがいでも無いのに、人の花精を自己都合でホイホイ引き離すんだから、お兄さんも迷惑な話だよな。マジで怒ってもいいと思う。

「倫旺さんは…」

俺の心の癒しはどうされているのだろうか。寝台の先でぐしゃぐしゃになった上掛けを恨めしく思いつつ、問う。この男が脇に居る時は、身体を覆うものは一枚でも多い方が良い気がしたからだ。
燕寿は意外そうに、形のいい顎をちょっと引いてみせた。

「あ、兄貴?一緒に帰ってきたけれど…多分、清冽のとこだろ。なんだよ、兄貴のことがそんなに気に入ったのか」

少なくともお前よりかはな。
毒舌清冽さんも、燕寿に比べれば遙かに良い。まともに考えてもみろ、お前を好きになる要素なんて何一つねえだろうよ。
まず第一に強姦魔だろ、それから、将来設計を台無しにしてくれた人攫い。こちらの同意なんて脅しで取り付けたようなもんだからな。しかも俺に対しては伝法な口調の癖に、清冽さんを含め、他の人間の前では私、とか猫被るし。顔だけはまあ、…良い、とは思うけど。でも、よくよく眺めて楽しむというよりかは、隣にあると腹が立つ傾向の美形だから、やっぱりむかつくだけだ。はい駄目。
内心で駄目だしをくれていると、小馬鹿にしたような溜息と共に、ばっさり一言。

「兄貴はやめとけ。お前じゃ手に余る」
「…はあ」

何とも返答しづらいことを言いやがるので、適当な相槌を打った。次いで全身で貴様なんぞ見たくない、話したくもないと主張してみせる。即ち、高そうな模様紙の貼られた壁の観察である。無機物を見ている方が、心が和むわ。
すると、敷き蒲団の上に影が落ちた。するりと伸びてくる、手。また髪でも引っかき回されるのかと、背を逸らしたが、それじゃあ事は収まらない。



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