(6)
つがいになるのか、それとも、妻として倫に入るのか。問われて悩んで、選んだ答えは「つがいになること」だった。
だって普通に考えてもみろ、男で妻って何だ。意味わからんし。人間の男を嫁にするなんて聞いたことねえよ。記念すべき第一号になりたいとも思わないね。堂々とあいつに好きにされる口実を自ら与えるだなんて真っ平だ(この点においては、どちらの選択肢も大して変わらない結果になるのだと、情けなくもあの時の俺は気付いていなかった)。
何せ、相手は花精嫌いで有名な燕寿殿だ。
いつだって執政になれる、仮に、運命がそっぽを向いてそうならずに終わっても、あいつは既に花護で、つがいになりたがっている花精はごまんといる筈だ。にも関わらず、燕寿は未だにピンである。それくらい、花精を遠ざけている。
花として嫁ぐのであれば、何かの折りに飽きて解放してくれるかもしれない。嫌われて放逐される可能性だって充分ある。妻とか言う、謎、かつ逃げ道皆無な立場になるよりも余程にマシだと思えた。
絶賛気絶中の間に行われていた遣り取りによって、逃げ出す居場所そのものが奪われることなんて予見出来なかったからな。
つがいか、嫁か。ふたつの選択にどれほどの差違があったのかは、未だに不明だ。
燕寿がこの先、俺をどう扱おうとしているのかも、分からない。幾らあいつがトンデモでも、太らせて喰うつもりはないだろう。少なくとも今は、奇麗な衣を与えられ、ふわふわの蒲団に寝て、黄金作りの籠に押し込められている。
俺は既に選んでしまった。放り出すわけにはいかない、己の人生だ。
(「だったら、このまま歩き続けるだけだ」)
「…どうした、身体でも鍛えてんのかよ」
「うお?!」
改めて決意を固めていたところに、突然、声が降ってきた。一番聞きたくなくて、でも、一度聞いたら忘れられなくなるような、色っぽい低音。
驚きのあまり、突っ張っていた腕が抜けちまって、べしゃりと潰れる。恐る恐る戸口の方を見ると、此処には居ない筈の人間が音も無く立っていた。
「…燕寿…?」
寒気がするくらいに整った美貌へ、薄い笑みを湛えた男が、そこにはいた。
すらりとした姿勢の良い体躯に、くだんの、鋭くも甘い造作の顔を乗っけている。瞳は漆黒。襟足をやや長く残した短髪も同じ色だ。
袖のない上着に、身体の線に沿った裳を穿き、正朱旗にのみ赦された、旅装用の臙脂の斗篷(マント)を羽織っている。腰に佩いた剣鉈は僅かに湾曲した、細身のもの。鞘は黒く螺鈿作りで、束には滑り止めらしい糸が巻いてある。秋廼から伝わった拵えだと聞いた。
俺の視線を受けて、黒い双眸が細められる。そこに愉快気な、得意そうな色を認めて腹が立った。こいつの快は俺の不快だ。当然だろうよ。
「幽霊でも見たような顔だな。…は、驚いたか?」
「……気配消して近付くんじゃねえっての」
素直に驚きました、と言いたくなくて、視線を逃がす。顔を背けてぼそぼそと問うた。
「あ、明日まで印潭(いんたん)に逗留するんじゃなかったのかよ…」
「事が早く済んだからさっさと帰ってきたのさ」と奴は言った。「…親戚連中と顔を付き合わせていても面白いことは何もねえし」
今度は皮の長靴の踵をはっきり鳴らしながら、書斎の敷居を過ぎて寝室へと入ってきた。なんで初めっからそうしねえんだ。趣味が悪い。そんな子どもじみた真似をするとは思えないけど、驚かせるつもりで気配を消したとか、ねえよな。
悠然と響く足音につられて、腕へ埋めた顔を少しだけずらし、奴の姿を盗み見る。分かっちゃいたが、燕寿が現れた途端にぱっと室内が色づいたように見えた。俺にとっては豪奢な檻で、不釣り合いな鳥籠でしかない場所が、正当なあるじを得てあるべき姿に戻る。そんな感じ。
…心の端っこが変に痛んだ。深くは考えないことにした。
(「…っと、やべ」)
近付いてくる足音に、慌てて倫史の本を隠す。枕の下へおざなりに突っ込んで、後は臨戦態勢とばかりに身を固くする。だって、必死こいて勉強してるとか、さらに燕寿の為に頑張っちゃってるとか勘違いされたらむかつくし。俺は清冽さんが怖いだけなの!
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