(5)
「…はあ…」
朝から思い煩うには些か重すぎる案件だった。自分一人なのをいいことに、広い寝台でころころ転がる。こんだけ転がっても端から落ちないとか、凄げえよな。なんでこんなに広いのかは考えたくないよな。
屋敷の広さが常識外れな所為か、物音らしい物音はほとんどしない。下働きの人間から、家付きの花護、倫の一族を含めて結構な人数がいる筈なんだが。因みにここに来て顔を合わせた人間は目下、十人以下だ。感心するくらいに隔離されている。
「起きよっかな…」
二度寝出来たら最高だけど、養父母の所に居た時分、使用人に混ざって働いて、飯をかき込んだらすぐに碩舎、という暮らしだった所為か、身体の方はさっさと覚醒してしまった。次第に、無為に寝そべっていることで罪悪感までもが膨らんできた。なにせ由緒正しい平民ですから仕方がない。
清冽さんがまだ来ないということは、それなりに早い時間だってことだ。
俺が来てからというもの、燕寿に加えて居候の面倒も見る羽目になった彼は、決まった頃合いになると、ご丁寧に顔を洗う盥と布巾、石鹸、髭を手入れする剃刀なんかもって登場する。精緻な人形のような容姿の花精が、盥と剃刀を抱えて現れるってのは、なかなかアレな眺めだ。
ちなみに、俺が先んじて起きているのを見、
『貴方の数少ない取り柄は早起きと、食べ物の好き嫌いがないことですね』
などと小馬鹿にしたようなことを言っていた。哀しいかな、反論はできない。
顔を洗ったり、身支度をするのを手伝って貰うだなんて窮屈なだけだ。一人でやれる、主張したけれど聞き入れては貰えなかった。
認めなかったのは燕寿のクソ野郎だ。俺が剃刀で自害を試みたらいけない、というのがその理由で、何だかもう、鼻でせせら笑うしかなかった。自分を傷付ける前にお前に斬りかかるわ、と言ったら、あの男は嬉しそうに破顔した。被虐趣味でもあんのかよ。分かっちゃいたが、きもい奴だな。
平生の、鋼鉄の美形が崩れて、妙に人好きのする表情になってしまう奴のツラを思い浮かべて溜息をひとつ。折角いないのに、わざわざ思い出してどうする。
さて、蒲団は恋しいがいい加減、潮時だ。ひとしきり転がることに満足したところで、腕立て伏せみたいな格好で、肘を支えにずるずる起き上がる。
俺の頭の先、枕のあたりには紐で綴じられた冊子が放り出してあった。寝間着にも着替えずにこんな格好のまま寝入ってしまった理由、格好の睡眠導入剤たる代物である。
清冽さんに命じられ、目下碩舎の修業とは別に倫史の勉強もしている。「倫史」―――即ち、正朱旗、倫氏の家の歴史だ。
例えば、現在の倫の当主には正当な嫡流にあたる子が三人いて、それが誰か、とか、分家の治める領地はどこで、各々一番偉い奴の名前は云々みたいなことが、一向に切れない金魚の糞みたく、つらつらと書いてある。ここに来てすぐに渡されたもの。つがいであれば、覚えるのは当然だ、と梔子の花精は言っていた。
俯せになったまま、瞳を閉じる。たくさんある、慣れないもののひとつを自分の中に落とし込む。どうあっても納得出来ない、―――消化しきれない、事実。
(「俺は、」)
俺は、…燕寿のつがいだ。
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