(3)
そう、花精、なら。
「……」
思い出すのはあの日の問い掛け。
『貴方は、花精として嫁ぐのですか。それとも、妻(さい)として、嫁がれるおつもりか』
「あいつ」の兄、倫旺(りんおう)さんのつがいである、清冽(せいれつ)さん。
梔子の精で、俺のそれまでの花精像をきれいに粉砕してくれた、高飛車かつ超態度のでかい花精だ。
彼の質問は即ち、「あいつ」の問いだった。妹の代わりに倫へ迎え入れるため、どちらかを選べ。さもなければ、恋人の元へ逃げた彼女を連れ戻すと、そう言った。
俺は勿論男だし、半分は花、半分は人間という「半人半花」の合いの子だけれど、純粋な花精とは違う。理力はカスほどしかなく、膂力も普通の人間並だ。
碩舎の修業を続けても、花護の適性は絶望的だろうと分かったとき、ならば花精の真似事だけでも出来ないか、と老師に頼み込んだことがあった。別に花精になりたかった訳じゃないけど、それを武器にして仕事でも出来たら、すぐに妹と家を出られるかもしれないと思ったんだ。
老師の友人だという、街に来ていた花護の協力を得て、彼のつがいに特訓して貰ったのだが、…惨憺たる結果だったんだよなあ。
親友を心配させ、老師を呆れさせ、手伝ってくれた凌霄花(のうぜんかずら)の花精を脱力させた一件を思い出すにつけ、苦笑ってしまう。そして、頭上に広がる天井を見、えもいわれぬ落差を感じた。一年も経っていないのに、あの思い出が酷く昔のことのように感じた。
妹の政略結婚に端を発したどたばたは思わぬ展開に行き着つつある。
義父母と言い合いになり、クソの御曹司殿にいたぶられて、俺の意識はぐるりと暗転した。それが一週前の話。
ひっくり返った後でどのようなやり取りが発生したのかはさっぱり分からない。後は野となれ山となれというやつだ。起きてみりゃ、「こんなところ」に連れ込まれてるんだ。何が話し合われたかなんて、考えるだけ無駄だろ。
それなりに図太いし、実力が伴わない負けず嫌いだという自覚はある。だから少舎や、碩舎の初めの頃は、”生まれ”のこともあっていじめられっ子の良い見本だった。まともに庇ってくれたのは親友の空戒くらいのもんだ。
でも、あれほど正面切って喧嘩をしたのは初めてだったと、思う。
育てられた恩だの、貰われ子である立場だの、…俺自身の問題だけれど、自信のなさ、とか。あらゆる引け目やしがらみの所為で、言いたいことの四分の三は腹の中に仕舞い込んだままだった。それが、どかんと爆発した。
引き金になったのは「あいつ」―――倫の燕寿(えんじゅ)。
突然やって来て、妹の恋路をぶちこわしにした挙げ句、訳の分からないことを言いたい放題、やりたい放題しやがった極悪人だ。
見てくれから始まり、中身も平凡の一言に尽きる、唯一の能力らしきものは自分自身には何の恩恵にもならないという、見事なまでに無い無い尽くしの俺を、事もあろうに、女にするみたいに抱きやがった。顔もいい、頭もいい、家は金持ちでしかも花護なんて境遇だと頭のネジみたいなもんが十本単位で吹っ飛ぶんだろうか。到底、まともとは思えん。
夏の庭の一、と称される筆頭旗の令息と、かろうじて旗人の末席に加わっているような家の、しかも貰われっ子の俺とでは、関わりなんて無いも同然だ。
ちょっと前までは同じ碩舎に通う、名前と顔しか知らない有名人だった。…言葉を交わして、存在自体が俺の劣等感を刺激するみたいな野郎だと分かった。
燕寿さえ出張ってこなければ、妹の結婚話は他家と円満に進むはずで。
夜逃げをするように家から出してやらなくても良かった筈だし、―――俺はあんな目に遭わずに済んだ。
最も気に入らないのは、燕寿の一言とか行動だとかで、今まで必死に守ってきたすべてがいとも簡単に覆ってしまうという事実と、屈辱。あいつは、一平民のささやかな目標とか将来みたいなもんを台無しにしてくれたのである。それも、涼しい顔で、手の動きひとつで人の命を奪う暴君のように、気軽に。
一晩中犯されて、目覚めた妹の部屋で見た光景はいまだ脳裏に焼き付いている。
義父母が間に合わせで入れた、趣味の悪い、値段だけは張る調度品。
あいつが部屋に立っているだけで、そういった代物が酷く薄っぺらで取るに足らないものに変わるんだ。ものの真贋が明らかになる、とでも言うのだろうか、生まれながらにある、どうにも出来ない差を突きつけられている気分に陥る。
立ち去る優美な後ろ姿に、悔しさと恥ずかしさで頭がおかしくなりそうだった。あの、風を切るように歩くさまを思い出すだけで胸のあたりがむかむかする。
俺たち兄妹を道具ごとくに扱おうとする養い親たちを、弁護したいなんて思っちゃいない。あいつらはあいつらで最低だ。
ただ、燕寿が気に喰わないだけ。ただそこに居るだけで俺の、なけなしの尊厳みたいなものを踏みつけにするあの男が、壮絶に、気に入らないだけだ。
それなのに。
―――俺の、つがい。
(「……」)
艶っぽく、腰のあたりがぞわぞわするような声が、不意によみがえる。数珠繋ぎに出てくる記憶へ蓋をするべく、掌で顔を覆った。
狂乱の時間の中で聞いた、理解なんてしようもない台詞だった。その後の「死んでみるか発言」の方がまだマシだ。いや、実際に殺されたら堪ったもんじゃねえんだけどさ。
何故に俺に執着する。そもそもの目当てが妹じゃなく、俺だったのかと錯覚するようなことすら言うんだ?
どうして、市井の片隅で名前もなく生きているようなやつの居場所を、人生を、敢えて滅茶苦茶にしようとするんだよ。
お前には何もかにもがあるのに。…俺なんて、片手の指で数えきれるくらいにしか、持っているものなんてないのに。
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