(22)
例によってのしち面倒な言い方をだ、平易な言葉に訳すると、「外圧で叩き起こすのは無理です」ってことかいな。理解が追いついたところで、嘆息しか出ない。
「いや、それ困るんすけど」と俺はぼやいた。
「自発的に…って、とても起きる雰囲気じゃないっつうか爆睡してるっつうか」
「そのようで」
「だ、だから清冽さんに起こして欲しいんです。俺がどんなに揺さぶっても叩いても、駄目で!清冽さんの馬力をもってすれば何とかなったり」
「しませんな」
にべもないとはこのことだ。
真面目くさった表情は願いに反してびくとも揺るがなかった。広げたままになっていた手拭いを俺から取り上げ、盥へ放り込む。さらには石鹸を泡立て、剃刀片手に近寄ってきたので、流石に慌てた。
どのような状況下においても命令を遂行してのけようって姿勢は素晴らしい。花精というよりも、むしろ家令のそれだが。
だけど、やっぱり優先すべきは燕寿だろ。しかもこのクソ花護を腹に乗せた格好で髭剃られるとか、悪夢か厭がらせの類としか思えない。
「ちょ、」
反射的に逃げを打った俺を、貴石めいた色合いの瞳が見下ろしている。何の感慨も浮かんでいない、ガラス玉みたいな目だと思った。中身はともかく、典型的な花精の外見だ。
下っ腹にとんでもない錘を乗っけている所為で結局、大した距離は取れなかった。仕方なしにガンを飛ばして拒否を示す。今度は清冽さんが溜息を吐く番だった。
しなやかな体躯を惜しげもなく晒す―――、権力をもつ者故の無邪気さで眠る、黒髪の男へと視線が遷る。
「…容姿、家柄、花護の能力もすべて申し分なく天与の才まである御方ですが、ひとつだけ欠点がございましてな」
「ひとつ、だけ?」
大事なもんが抜けてるぜ。性格はどうした。
あとは常識とか倫理観とか理性とか、人として最低限必要なものがごっそり落ちてやしないか。しかも良くないことに、当の本人に是正しようという心づもりが全くないときた。短い付き合いの俺が分かるんだ、もっと長く見ている清冽さんなら厭ってほど分かっておられるんじゃないんですかあ?
とまあ、相当不服そうにしていた筈だが、梔子の花精は清々しいまでに見ない振りをしやがった。
しょうがなく話を促すために、はあ、と相槌を打つ。洗面具を盥へ落とし(お喋りの間だけかもしれんが、どうやら諦めてくれたらしい)、小さく咳払いをした後で、彼はおごそかに事を告げた。
「…寝汚くてらっしゃるのです」
「いぎたない」
「然様で」
忘れる、という概念がない花精の記憶。そこに深々と刻まれた苦悩の歴史を思い返すが如くに、貴族的な容貌は渋面に歪んだ。
「声を掛けようが、体を揺すろうが、燕寿さまにその気がなければ、起きませんので。水盥をぶちまけようと使用人に用意させたこともございましたが、」
おいおい、いいのか。漫才じゃあるまいし。
だが、清冽さんの表情を見るにずぶ濡れ大作戦は敢えなく失敗した模様である。
「…あのときは寝台ごと消えておられた」
「…それって、寝台担いでどっか行っちまったってことですか」
「燕寿さまのお姉君、安寿(あんじゅ)さまのお部屋に面して小さな庭がございましてな」
庭か。
「その寝台とやらを草地に直接据えて…」
「いやはや、実によく寝ておられた」
戯けた文句の割りには声が平坦で怖い。
「今俺らが使ってる、これですよね」
掌でふかふかの布団を押してみる。
繰り返しになるが、でかくて立派で、めちゃめちゃ高そうな代物だ。飴色に変色した柱や天板、分厚い天蓋を覆う赤い緞子。到底一人の力で運べるものじゃない。普通の人間であればの話だが。
「…如何にも」
俺は改めて惰眠を貪り倒している美形を見遣った。花護の能力ってそういう用途に使っていいわけ?
(「…無駄遣いの極致だろ…」)
そりゃ、現執政だって殺意をおぼえる筈だ。こんな奴に王位を取られた日にゃ、情けなさのあまり枕が雑巾絞りできるくらいに濡れるだろうよ。
行状を聞くたび、不信感はますいっぽうだ。元から信用のしどころもないけれど、文字通り違う世界の人間としか思えない。
すやすやと眠る横顔はお伽噺の公子そのものだった。なんかもう一生寝ててくれないかなこいつ。叩き起こそうと乗せた手を退けることも忘れて、狼が被る羊の皮を見下ろしていた、そのときだ。
「ですから、例えばこのように―――」
白い柱のように突っ立っていた清冽さんが、ぶわっと膨れたのは。
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