(2)



一緒に入ろうか、との申し出は丁重に断り、ふわふわと浮わついた頭で、慣れない浴室を使った。白柳邸の風呂は広く、天井が硝子張りになっていて、浴槽に浸かると雲にけぶった月がぼうと浮かぶさままでもが見える。
やたらと香りのよいシャワージェルは友人の身体から匂うそれで、泡まみれになった後からすごく後悔した。香水じゃなくて、ふとしたときに彼自身からする、甘い香り。抱きしめられた肩口や、鼻先を押し付けた首筋の感触がフラッシュバックする。

…猛烈に恥ずかしい。

かっかと頬を火照らせた僕は、湯中りを心配されたのだった。


客間を用意致しますか、と家令さんに聞かれて、白柳は「無粋なやつだよ」とむくれていた。僕の後に湯を使った彼は、例のラフな格好で、どこからか持ってきた掛け布団を増やした。

『…案外と、真赭のおかーさんみたいにテンション上がってるだけかもしらんけど』
『ど、…どうして』
『久馬とか輕子とか、…あとは比扇あたりはよく来るけどね。真赭みたいなタイプは初めてだからじゃないかな』

俺が分かりやすく世話を焼いているのが面白いんでしょう、なんて、難しいことを言う。揃いの、緑のカバーに布団をくるみながら。

『…ごめん、』

僕みたいな奴なんかより、よほど久馬や輕子が来た方が楽しそうなのに。よく分からない、と僕が呟くのと、ささやかな達成感に充ちた声色で、彼が「できた」と言ったのはほぼ同時だった。見るからに柔らかそうな、寝心地の良さそうなそれを、軽く押し退けて白柳はマットレスを叩く。

『さあ、――乗って』

そして、事態は冒頭へ戻る。



左右の両足を片付けて、彼は、今度は手を出せと命じた。脚にがさりと広告紙が広げられて、折れ目の上で僕の身体の死骸がぱらぱらと踊る。

「真赭はさぁ」
「う…うん」
「爪のかたち、きれいだよね」
「そう、かな」

そんなことを言われたのは初めてだ。僕の手を取ってまじまじと見るような相手なんて、まず居ないから当たり前と言えば当たり前。

「自分じゃよく分からないよ…」
「きれいな楕円形だし、長さもあるし。マニキュア塗ったら良さそう」
「ええ?!」

道具があればすぐにでも取りかかりそうな勢いで、僕の手を裏、表、とひっくり返す。

「マ、マニキュア…」
「そお」と事も無げに白柳は頷いた。「俺、塗るのうまいのよ。親の手伝いでやってるくらい」

デザイナーと服飾会社を営む彼の両親は、度々国内外でショーを催したり、コレクションカタログを製作したりする。家業を継ぐ気はまったくないと言いつつも、細々したことに友人はまま、駆り出されているようだ。僕の爪を器用に切る手つきに、納得する。流石にマニキュアを塗って貰いたいとは思わないけれど。

「真赭だったら薄い桜色とかがいいかなあ。フレンチにしても可愛いかもね」
「え、いいよ…そんなの」
「きっと似合うのに」

言いながら、僕の爪を自分の指の腹でそっと撫でた。ぞくり、と震えが奔る。撫でられた場所じゃない―――背筋、それから、腰。
白柳は、今度は驚かなかった。僕をたしなめもしなかった。ただ、微かに笑っただけ。
性別と弱さとは、必ずしも関係するものじゃないのに、その時の僕は惰弱さを糾弾されたような錯覚に陥っていた。

「…僕は女じゃない」

思わず漏らした呟きは、自分でもぎょっとするくらいの冷たさを帯びている。白柳に対して悪意を持ったこと、持つつもりすらないのに、苛立ちを剥き出しにしたそのままの言葉は矢のように僕の口をついて出た。

「えと、あ、」
「…そうだね」

含むところはないのだと、弁解したくて、でもうまい台詞が思い付かない。あ、とか、う、とか言っている間に、落ち着いた声が淡白に応じてくる。

「あの、…はこなやぎ…」
「うん?」

怒ったのか、なんて、馬鹿げたことは聞けなかった。彼は顔を上げない。ぱちん。ぱちん。その音だけが沈黙を埋めていく。

「……」
「ヤスリ、掛けるから。もし膚が擦れたらすぐに言ってな」

爪切りにとって変わって、理科の実験で使うみたいな、厚めの硝子板が出てきた。白い縁を均一に残した爪先から、鈍く震動が伝わってくる。硝子板の後に使う紙製のやわらかなヤスリ、甘皮をこそぐ道具。続く行程に、僕の罪悪感は増す一方だ。






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