(3)
握り拳ほどもある豆大福をほぼ平らげて、残る半分は国房と自宅用に取り分けようかと思案していた矢先だった。片手に饅頭、もう一方の手に湯飲みを持ち、もぐもぐと咀嚼していたところに、雷天を思わせる低い声が落ちてきた。
「…どこをふらついているのかと思えば、いいご身分だなあ?…恬子よォ」
「…!!」
「これは、…周霖さま」
夕筒ががたり、と椅子を鳴らして立ち上がる。慌ててそれに倣おうとしたが、軽く手を振って制された。その仕草にかちんとくる。反射的に睨め付けると、御史の周霖――残念ながら恬子の直属の上司にあたる男、は、意地の悪い笑みを浮かべて見せた。
「…し、失礼をいたしました。午前は非番でしたゆえ、こちらで昼食を摂っておりました」
「それはそれは、昼飯の時間をお邪魔して済まなんだな、医女殿」
「…いいえ、」
(「最悪」)
よりにもよって、こいつに見つかるだなんて。恬子は内心でほぞを噛んだ。
柳の花護、謝家の周霖(しゅうりん)。
春苑でも指折りの名家の出でありながら、性は兇猛にして風評は悪しく、「建礼舎(けんれいしゃ)」――優れた花護を養成する為の学舎だ――での成績では拭いきれないほどの凶状多々、と噂されている。露見していないものは、すべて謝家が金や権勢で握りつぶしたとのこと。
周霖の身分や能力を持ってすれば、執政付きの部署「翰林院」に任じられてもおかしくなかったが、その行いが災いして、危険が多く、人に恨まれることはあっても、決して敬われはしないという、「都察院」に回されたのだと専らの評判だ。
彼のひとの仇名は「花喰人(はなくいびと)」と言う。その由来を己は、身をもって、知っている。だから余計に、いけ好かない。
恬子の手をすり抜けていった三人の花精のいのち。彼らの顔も、名前も、きっと永遠に忘れない。塵となって形も残さず枯れていった花精たちを記憶し続けることは、医女たる己の役目だと思っている。
今、周霖のつがいとなっているのは、先の三人とは別の、柳の花精だ。
それまで番っていた唐桃は相性が悪かったのか、はたまた別の理由か、とにかく柳の「彼」は、周霖のつがい最長記録を更新中である。一日でも長く生きて欲しい。花精の、個の生にどうしてもこだわってしまうのは、そうした経験故かもしれなかった。
「…伎良(ぎりょう)さまは、」
「あいつは執務室で仕事中だ。どこかの誰かさんと違ってな」
(「その言葉、そっくりそのままあんたに返す!」)
「まあ、おひとりでおかわいそうですこと」
ほほほ、とわざとらしく手の甲を口元に当て、笑ってみせる。恬子は休みだが、周霖は間違いなく執務中の筈だ。油を売っているのは余程、彼の方。
生真面目で物静かで、花精にしては些か華のない雄。碧の目だけが飛び抜けて印象的で、訥々と喋り、たまに照れくさそうに、笑う。
それが、現、柳の花精である伎良だ。
柳の種は優秀な花精を多く出しているけれども、伎良はあまり能力が高くない。若輩者とはいえ医術に携わる恬子は、その力をもって彼の技量を悟っている。
初対面の時は正直、落胆した。死んだ唐桃の花精よりも遙かに劣っていたからだ。これでは殺されるのを待つようなものだ、そう思った。周霖が「花喰人」と揶揄される理由―――花精の理力を最大限に使い果たして、枯らせてしまうのはあまりに有名な話だったから。
その筈が、どうして、事態は変わりつつある。
具体的な原因は恬子にも不明だ。ただ、次第に周霖が伎良の扱いを変えていったことは事実。
初めは先の例に漏れず、使い捨ての駒でしかなかった。ただびとと異なり、超常の回復力をもつ花護や花精において、生傷が絶えないというのは余程のことである。
口惜しさに口脣を噛みながら、細い腕へ包帯を巻いた。膿んだ傷口を焼き、軟膏を塗りながら涙が止められなかった。痛いのは伎良の方なのに、彼はいつも困ったように、笑って。
『…恬子は泣き虫だ』
病弱だった田舎の兄と、姿が被って余計に泣けてくる。この花精は何としても「喰わせたく」ない。決意を語ると、節くれ立った指を備えた手が、恬子の黒い髪を撫でた。
ぼろ雑巾のような身体を引き摺って、伎良は花喰人に従い続けた。本職を外れた蟲狩りにもついていく。どんなに恬子が気勢を上げたところで、結局は見守ることと、戻ってきた花精の手当をすることしかできない。つがいの関係とはそういうものだ。
緩やかに起きた変化に気付いた頃、理由は既に、彼らの裡に沈んだまま。
不躾とは分かっていたが、つい、伎良に問うた。そのときも彼は苦笑していたっけか。付き合う内にようやく分かってきた、あの、滲むような笑みを思い浮かべた。決して儚くはない、どこか懐かしいものに相対するような表情だ。
最近はとみに見る機会が増えてきた。信じがたいことだが、高圧的に見下ろしてくるこの花護の傍らで、特に。
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