(3)



例によって、ちりりと鳴った鈴を悄然と見つめていたら、頭のすぐ上でくつくつと喉が鳴った。

「泥でも詰めねえと無理だろうよ。毎度飽きずに無駄な努力をする」
「…そう思うなら、外してくれないか。これ」

鈴をつけられた猫の心境そのまんまだ。鼠を爪で引っ掛ける業を鑑みれば、よほど、彼の方が猫だと思うのに。

「御免だな」

周霖は犬歯を見せて嗤う。

「俺の楽しみを奪う気かよ、お前は」
「こんな悪趣味が?」…だとしたら末期としか言いようがない。「俺にとっては苦行でしかないんだが」

正直な思いを打ち明けたにもかかわらず、花護のにやにや笑いは止まらなかった。観念した俺が、己の膝へ座っているざまを、顎を手の甲に預けて、愉快そうに観察している。

情けないとは思うけど、恥ずかしくは、ない。
どんな形であっても、つがいに触れることが出来るのは花精にとっての倖いだ。上着の裾をたくしあげて腰を下ろす。脚はだらりと垂れて、床にはつかない。漏れる吐息が満足気にならないよう専心した。周霖を調子づかせるだけだ。

なんとか位置を落ち着けて咳払いをした途端、乗っかっている脚が微妙に下げられて、慌てて花護の衣を掴んだ。俺の安定は周霖の胸先三寸だった。ずり落ちないようにする為には上下する天秤みたいに傾く脚を、跨いだ俺のそれでしめつけるしかない。お互いの下半身をすり合わせる格好にぞっとなる。まずい展開だ。

必死を通り越して決死の思いでしがみついていると、鼻先に紙の包みが突き出された。

「…なんだ?」
「開けて見ろ。恬子(てんこ)からぶんどってきた」
「恬子から…?」

告げられた名前に首を傾げた。
恬子は都察院付きの医女だ。周霖の部下にあたる。癖のありすぎる上役にめげることも――いや、本当はめげているのかもしれないのだが――なく、よく働いている。
年の頃は二十を半ばに過ぎたくらいか、小柄で、黒い髪に灰色の目が印象的な花護だ。利かん気で喧嘩っ早いところは周霖によく似ている。因みにそれを言うと二人とも怒る。

脱落者続出の都察院左房においては貴重な人材だろうに、周霖の扱いは無碍の一言に尽きた。必要に応じては、男の花護にするように容赦なく打擲する。物言いも隔てなくきつい。
それでも、恬子は異動の願いすら出さず、都察院に留まっている。辞めるのは負けたようで厭です、と以前、こぼしていた。

彼女を折に付け庇うのは俺の役目で、それは、ひとえに仕事を滞りなくすすめたいがためだったが、ふとした時に、かつてのあるじである姶濱に対して感じたものと、似た気持ちを味わうことがあった。それは親愛とか、友愛などと呼ばれる代物だったけれど、そのときの俺にとってはまだ、名前のない感情だった。

「また益体もないことを言って苛めたんだろう」

落ちない為にはより深く股を開いてから、この男の両脚を締め付けるしかない。舌打ちをしつつ脚を広げたところ、周霖は助けるように膝頭を突き上げた。当然、俺の身体はずるずると前に滑る。耳元でふん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。

「人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ。あの馬鹿女が馬鹿をやって、俺がそれをまっとうに咎めただけだ」
「お前のまっとうは時々非常識だ」
「…言ってろ」
「ん…、」

つくりの良い顔が近付いてきて、耳の付け根へ口脣が当てられた。接吻されて、皮の薄いところにやさしく歯が立てられる。首の付け根や鎖骨のあたりはこの要領で浅い疵が絶えない。目を眇めながらやり過ごした。

「恬子をあまりからかうな。お前の冗談は紛らわしすぎて苛めみたいだぞ」
「あいつがいちいち真に受けるのが悪いんだよ」と周霖。「…伎良のように流し過ぎるのも問題だけどな。…加減がわからなくなる」
「い、痛…ッ、周霖、強すぎだ」

抗議したら、「注文が多い」と叱られた。加減がどうこう言ったばかりじゃないのか。また違う話題か?

じゃれかかられたまま、受け取った紙包みの中をなんとか開く。すると油紙の中から白い饅頭が三つ、顔を出した。見慣れない外形だ。白く粉がはたいてあって、豆が埋め込んである。握り拳ほどの大きさだった。

「…これは?…また、饅頭か?」

饅頭は食べたことがある。周霖に命じられて食べた、あれはつがいになって半年ほどたった頃のことだ。小麦粉を練って蒸したやわらかな皮に、肉や小豆の餡が入っている代物で、春苑ではよく見る食べ物だ。まずい、とは思わないが、うまいとも思わない。

多くの花精にとって美味と感じるものは、主食としている花餅や、体質にあった水くらいだろう。こいつも大概諦めが悪い。俺が呆れたように聞くと、彼はひとつ取って、今度は口元へ突きつけてきた。

「喰え。なんでも、豆大福とかいう、秋廼(しゅうだい)の菓子らしいぜ」
「…はあ」

秋の庭の食べ物なんて、はじめて見た。
俺も、俺につらなる柳の花精もこの春苑から出たことがない。記憶を辿ればすぐに分かる。花精が引き継ぐ記憶は、感情を別にすれば基本的に欠けがないと言われている。忘却とは無縁の生だ。
覚えていない、ということは、経験がないということ。まめだいふく、という言葉も初耳だ。
正直に明かせば、何故だか、周霖は満足そうに笑った。この、少年っぽい笑顔は好きだ。何と言っても邪気がないのが素晴らしい。身体の芯が温かくなる感覚だけを追いたくなる。



- 4 -
[*前] | [次#]


◇PN.top
◇main



「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -