(2)



机の手前で立ち止まって、しばらくこちらを眺めていた周霖であったが、いっかな俺に寄りつく気がないのを悟ったらしく、口を開いた。

「伎良」
「…なんだ」
「来い」

来いって。お前。
言うなり、どんと椅子に腰掛け、睨め付けてくる。構わずに、俺は文書と睨めっこを続けた。誰の仕事をやっていると思っているんだ。見遣りもせずに言い返した。

「これが終わったら行く」
「…伎良」

低い声。二度は言わない、という響きに充ち満ちたそれ。
俺と彼の机は直角を描く形で配置されている。確認をした書類に済印を押しまくっていると、視線の冷ややかさが加速度的に増し始めた。

頬杖をつき、長い脚を組んで身体を傾けている周霖は気怠げな獣みたいで、ただ、冷たい風を装う双眸の奥に、なにかを企む―――面白がっている気配を、見つけてしまった。

(「…だから厭だったんだ…」)

できれば、見ない振りを続けたかったが――勿論、時すでに遅し、である。
実に不吉な予感がするぞ。反射的に口の端をひきつらせると、今度はわかりやすく、彼は笑ってみせた。百官が後退り、同僚ですら恐怖する無言の笑顔だ。

…俺は、おそろしいとは思わない。

他の花精がどうだかは知らないが、つがいを本当に「おそろしい」と感じることは、あまり無いんじゃなかろうか。
目下の危惧は、如何にすれば掛かる被害を最小限に留められるかどうかだ。
俺で遊ぼう(かなしいかな、断じて俺「と」、じゃない)と心に決めた彼を、どうにかできるとは思っていない。もはや黙殺も誤魔化しも赦されないだろう。仕方なしに筆を置き、せめてもの抵抗にと嘆息しながら立ち上がる。

俺の声なき主張を気にした様子もなく、周霖は硬く張った己の膝頭を、二、三度叩いた。

「来い。…乗れ」
「……」

(「…いいさ、」)

こうなったら絶対に部屋から出してやるものか。
従うのは周霖に仕事をさせるため――、後少しの理由は、花精の性(さが)だ。花精である俺が言うにはおかしな喩えだが、蜜を湛えた花を前に堪えられる虫はいない、ってこと。

腹はくくった。
床を軽く蹴り、男の膝の上へ乗った。袖が風を孕んでふわりと舞う。ひらひら鬱陶しいことこの上ない、しかも間違いなく似合っていない。だが、あるじから与えられたものだ。着るしかないだろう。


俺が文句たらたらの、青と薄い碧を重ねた羅衣(らい)は他ならぬ彼の見立てだ。
ごく薄手の絹でつくられている、この羅衣、という衣は、蝉の翅のように体躯の線を露わにする。
それを胸から胴をやわらかな布地で巻き、太い帯でもって締める。裾の広い下穿きはくるぶしまでの丈で、底のぺたりとした布靴の色は紺。丈の長い袖が一挙手一投足で揺れて、体にまとわりついてくるのだ、慣れた今でこそ普通にしているけれど、着た当初は脚に絡まってこける、なんてこともままあった。

俺の動作を阻害するのは衣だけじゃない。
両の足首には鈴の飾り物がついた白金の輪がはまっていて、歩を進めるたび、動きに合わせて鈴が涼やかに鳴る。なるべく音がしないように気をつけているのだが、うまくいった試しはない。
広く開けられた首回りは、足輪と揃いでつくられた首輪がよく目立つようにしてある。細い翡翠の輪の留めは白金。柳の葉の紋様が彫り込まれている。

首輪を身につけること自体に異論はない。
主人のいる花精は首輪をはめて、花紋(かもん)を隠すしきたりである。異論どころか誇りにすべきなのだが。
俺のこれはあまりに細すぎるつくりをしている。首輪から花紋が完全にはみ出しているのだ。
だから、鏡や硝子に映り込んだ己の姿を見るにつけ、ひどく落ち着かない気分になる。

…これらはすべて周霖の趣向だった。
悪趣味極まりないことだが、悪戯を咎めるみたいに音をたてる足元や、野良――あるじのいない花精への蔑称だ――のように花紋が剥き出しになった首に、俺が戸惑ったり困惑したりするのが非常に楽しいらしい。
初めは厭がらせかと思っていた。実際、そうだったかもしれない。今まで彼が娶った花精に比べて、俺は格段に愛想がないから。

ところが、連れ添っているうちに、段々と面白くなってきたそうで、周霖は積極的にあれこれ構うようになってきた。
歌い女のように露出の多い衣袍に、綺羅綺羅しい装身具。酒や煙草。全部、慣れないものばかりだ。

前のつがいだった姶濱(あいびん)は典型的な昔気質の花護だったから、自分も含め、衣も食も、生活すべてが質素だった。花精に変わったものを与えようという思考そのものが無かったと言える。
俺にとって周霖は驚異だったが、彼にとってもこの柳花精は変わり種だったのかもしれない。いや、いい暇潰しってやつなのか?
もしそうなら俺のことは置いておいて、その情熱は仕事に傾けてくれ、頼むから。




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