豆大福と柳の木
俺の所属する都察院(とさついん)は百官を監視する、政務監査の部署である。
風俗使、とよばれる特使たちを派遣し、その土地の官吏が勤めを怠っていないか、正しく政務を報告しているかどうかを見聞するのが役目だ。
周霖(しゅうりん)―――俺のつがいたる男は都察院左房の御史で、自らも外地へ赴くけれども、部下からの報告を取りまとめることを専らの仕事としている。
…その筈が。
「…はあ…」
下っ端の官吏がたむろする大部屋とは別に、与えられた執務室。部屋のあるじはおらず、文書と向き合っているのは置いてきぼりを喰らった俺、ひとりだけ。
外は晴れていて、風は凪いでいて、紙は雪崩を打たんがごとくに積み上がっている。その端っこが、俺の溜息を受けてはたはたと震えた。いっそ全て吹っ飛んでしまえばいい、と思うが、実際にそうなったら泣きっ面に蜂だ。
周霖は紙と筆を相手にするのを嫌う。
俺の嫁いだ男は、文を入れた小櫃(こびつ)を携えている部下に背中を向け、剣を杖代わりに這い蹲ってやってくる臣に対しては嬉しげに振り返るようなやつなのだ。
古い神話には、兜を被り、楯と矛とを手に持って親神の頭から生まれ出た神が居ると聞く。どこかの誰かさんに良く似ている。
決して暗愚なんかじゃない、その気になれば易々と片付けられる癖に、どうにも彼は仕事場に寄りつかなかった。扉に何か、周霖避けでも貼ってあるんじゃなかろうか、と思うほどだ。
結果、お鉢はもれなく俺に回ってきて、県ごとに書類を振り分けてみたり、提出漏れが無いかを黙々と確認したりする羽目になる。そう、今みたいに。
「…これを見込んでつがいにされたわけじゃあるまいな…」
流石にそのような馬鹿げた理由じゃないことぐらい、分かっている。
情けないぼやきは、天井へ到達する前にはじけて、消えていく。それを追い掛けるように、溜息を吐く。
ひととおり、一覧に朱のしるしをつけたところで、執務室の扉が開いた。
積み重なった書類越しに視線を遣れば、部屋の正統なあるじが帰ってきたところだった。
春苑第二位の家柄、紺旗謝家出身の旗人。
都察院左房の御史のひとりにして、俺の花護―――周霖である。
獅子に喩えられる美形は精悍で、荒々しさと品の良さが矛盾なく混ざっている。身体つきは大柄な部類に入ると思う。俺の首くらいなら片手で易々と締められるだろう。
青い官服の襟元はだらしなく緩められてい、肩口までかかる金茶の鬣(たてがみ)は額から後ろへと流されている。双眸は涅色。水底に沈む泥土の色だ。ごつい軍靴の踵は容赦なく床を叩く。動きに合わせて、腰に佩かれた大剣の鍔が鳴る。
ようやくお帰りか、と思ったが、俺は別段声を掛けることも、駆け寄ることもしなかった。取りあえずは目の前の、この山をひとつでも減らさなくてはいけない。
周霖には上司たる大夫(たいふ)が居る。御史から出てきた文書は大夫から執政へと奏上される仕組みだ。仕事をさぼれば、さながら血脈が止まるかのように、その流れは停止する。
勿論、赦されないことだ。官となり、花精を娶った花護にとっては当然の務めだから。
けれど周霖は度々さぼる。脱走する。こればかりは俺や、上司が言葉を重ねても直らない。従って尻ぬぐいはつがいがすることになり、彼があの射るような目つきでこちらを見下ろしていたとしても、俺は筆の穂先を朱墨で濡らすのみだ。
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