(6)
「…本当もう、なんなのあの野郎!!没収とか、碩舎(がっこう)の老師じゃないんだから!私だって年がら年中お菓子食べているわけじゃないし!」
「承知しております」
「大体、非番の時間に何しても文句を言われる筋合い、ない!って言うか、あんたが仕事しなさいよあんたが!万年職務放棄男の癖に!ありえない!!」
「恬子さま、落ち着いて…」
医局へと帰る道々、宥める夕筒を従えて恬子は呪いの言葉を吐き散らしていた。
結局、うやむやの内に豆大福は没収されてしまい、国房にあげるどころでは無くなってしまっている。流石に手にしていた分までは取られなかったが、次の休みの時には、行商はとっくに引き払っているだろう。
前執政の時代に比べれば、現在玉座についている桜の花護、鶯嵐(おうらん)の治世は穏やかだという。とは言え、都察院の多忙さは十が九になった、ほどのもの。他の官吏のこともある、そう簡単に休暇は貰えない。
「きっと、期待の裏返しなのですよ。周霖さまは、何を言ってもめげない恬子さまを買っておられるのです」
「…その前向き思考、私も見習えればいいんだけれど」
少女と見紛うばかりの可愛らしい顔立ちにやわらかな微笑みを浮かべ、満天星の精が慰めてくれる。楚々とした立ち振る舞いを見、のしのしと大股で歩いていた己をようやくながら自覚した。そっと歩幅を狭めると、夕筒の笑みは深くなったようだった。
毎度のことながら、花精の精神構造には恐れ入る。つがいの花護を奮い立たせる為なら、平気でとんでもない発言をする。周霖が他人に期待することなんて、きっと欠片もないだろう。それくらい恬子だって分かる。
『恬子が面白いように反応するから、…あいつも悪のりする』
引っ詰めた髪を撫でつけつつ、苦笑った。乏しい表情の下、けれども案じるように諭してくれた花精の横顔を思い出す。彼の言葉の方が、幾分か得心がいく。
「花護と花精のつがいは奇縁というけれど、本当に、そう。何でまた、よりにもよってあんなやつの相手が、伎良さま…」
「それでも、唐桃精よりは長く続いておりますからね。…唐桃にも柳にも、何か思うところがあったのかもしれませぬ。一人の花護が途中で種族を変えるのは、あまり無いことですから」
「そう、だ…、」
「…?」
恬子さま、と少年が訝しげに問うてくる、その声もどこか遠い。
「そうだ、伎良さま、…まずい」
「どうかなさいましたか」
ひたりと足を止めて、即座に踵を返した。青衣は翻り、布の靴は速度を上げていく。刮目してつがいが追い掛けてきたが、戻れ、と制した。すれ違う同僚が迷惑そうに避けている、詫びを言う時間も惜しい。
「夕筒は医局に戻れ!私は御史の執務室へ行ってくる」
「な、何故また」
「周霖さまのことだ、あれを伎良さまに食べさせようというのだろう!」
「ええっ…」
常人を上回る身体能力を持つ花護が、本気で駆け出せば獣の速さを遙かに追い抜くという。呆然と立ち尽くす満天星を置いて、恬子は既に回廊の柱の角を曲がっている。最早、声が届く距離ではない。頭に血が上ってしまえば精神感応も使えなくなる。まさに猪突猛進の勢いで駆けていった主へ、夕筒は小さく嘆息をした。
「饅頭を三個も五個も食べようというのは、…おそらく貴女様くらいのものかと存じますよ」
このもっともな忠言を聴いていたのなら、直後、恬子はあれほど恐ろしい思いをせずに済んだろう。後悔先に建たず、とはよく言ったものだ。
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