(4)
「早く行ってさしあげないと、…万廻(まんかい)さまのお叱りを、伎良さまお一人で受けることになりはしませんか」
伎良は好きだが、相手の花護は憎い。とは言え、正面切って嫌いです、という度胸は流石の己にもなかった。御史の花精と仲が良くとも、恬子の立場はあくまで部下だ。仕方なしに、厭味半分、本音半分で注進してみる。予想通り、鼻で嗤われた。
「ババアでもないのに老婆心か?恬子」
「あら、婆だなんて。…わたくし、こう見えましても周霖さまより年下です。お目々の具合がかんばしくないようですね。…診てさしあげましょうか」
顔面全体が歪みかけるのを必死で堪え、きりきりと口の端を吊り上げてみせる。周霖はそれを一瞥した。
「藪に診せる身体はねえな」
「な…!」
「それによぉ、ババアだのジジイだのは年じゃなくて心根でなるらしいぜ。…残念だったなァ?」
「―――お言葉、有難く肝に銘じますっ」
むかつく。
ああ言えばこう言う、態度だけではなく口も、心根も、本当に厭なやつ。何故こんな男が上司なんだろう。そしてあの、伎良のつがいなんだろう。苛々と手に持っていた五つ目の大福を貪り、茶を飲み干す。およそ若い乙女の所作、部下の態度ではないと自覚の上で、構わずに、喉元を晒して碗を呷った。こうなったら取り置きの分も食べてしまおうか。きっとスカッとするに違いない。
「……おい、」
「…はい?!」
卓の端に乗せていた油紙を引き寄せて中を開く。そうして残る菓子を取り出す。視線を感じたが、まずはひとつと口にもっていく。実に美味である。埋め込んである豆はほくほくとして、餅はあくまで軟らかく、粒餡の舌触りが絶品だ。この、皮が少し残るくらいが恬子の好みによく合うのだ。
「おいって言ってんだよこの馬鹿女」
…餅が喉に詰まりかけた。
「ば、馬鹿とは!幾らなんでも酷い仰りようでございます!」
「俺は事実をありのままに言っただけだ。で、なんだ、それは」
「…はァ?」
見上げれば、卓の近くに寄った周霖は、ごつい指を降ろしてこつこつと油紙の脇を叩く。何の事やら、と食べかけを咀嚼、嚥下し、もうひとつ手に取ったところで、その指が恬子の手首を捕らえた。
「ひぃ!」
人殺し、と思わず叫びそうになったのを慌てて呑み込む。
「なんだぁ?…これ、饅頭か」
周霖の目当ては恬子、ではなく、菓子の方だったようだ。軽い衣の裾をひく音がして、背後に気配が立った。涼やかな声が応を返す。
「秋廼の菓子で、豆大福、と言うそうです。昨日、国房さまがお話になられておりまして、それで、恬子さまがお買い求めになられたものです」
突然の接触に凍り付いている己に代わり、答えた夕筒にもやはり、柳の花護はつまらなさそうに鼻を鳴らしただけだった。何せこの男の興味はひとつのもの―――いや、相手に集約しつつある。伎良に起きた柔らかな変化と前後して、気付いてしまったことだ。
「珍しいもんなのか」
こういう手合いは食べないからよく分からない、と彼にしては正直な台詞を吐いた。満天星はこくりと首を振る。
「わたくしの記憶に在ります限り、そう滅多に春苑では見掛けないものかと。こういった食べ物は長くは保ちませんでしょう、作り手ごと庭に参らなければ、食せぬかと存じます」
「あ、そうなんです。なんか、行商がお店ごと来ていて、すごい行列でした。国房殿もこれが一押しだって…」
つがいの説明を補足せんと恬子の口は動いた。一方でじわじわとやってくる不吉な予感。既視感。進行している現状ではない、むしろその後に起きた出来事の尻ぬぐいを、かつて己はやった。そう、あれは確か、眼前の花護が、熊をも倒すという触れ込みの、強い地酒を手に入れてきたときのこと―――、
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