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「私は割れた鍋でも、ひびの入った蓋でもありませぬゆえ」

ご承知おきを、とふてくされた態で彼が言うので、国房は失笑した。

「物の喩えってのを知らないのか、お前は」
「喩えにしても、…あまりの仰せだ」
「他に思いつかなかったんだ、…ああ、そっちの文鎮、寄越してくれ」
「………」

余程不満だったのか、緋鞘はお得意のだんまりを決め込んでしまった。やれやれ、と口の中でぼやきながら、今度は張り出し用の紙に、筆を下ろしていく。

先日の娶せの儀で、新しく決まったつがいの一覧を、人事院の前へ掲示する。書の才を買われて、国房へ振られた役目だった。有り体に言えば、他に出来ることがない。それだけ。
今回の人事に合わせて、自分もどちらかへ配属される筈である。もしかしたら同僚になるかもしれない花護たち、花精たちの名前の中に、見覚えがある名があった。

千里の口から聞いたときもおや、と思ったが、やはり、あの花精ではなかろうか。

「如何されたか」

動きを止めた花護へ、訝しげに緋鞘が問う。指し示すと、「ああ」と彼は首肯した。

「―――伎良(ぎりょう)は、よく存じています。柳花精だ。先につがいに逝かれたので娶せの儀に出たのでしょう」
「その、…死んだ花護を知ってる」と、国房は掠れた声で言った。
「春苑に来たばかりの時分、随分と助けて貰ったんだ…」

老いた女性の花護で、彼女のつがいも、主の性格とよく似た、落ち着いた雰囲気の花精だった。
黒い髪、華やかさに欠ける地味な容貌で、ただ碧の目の色がとびきりうつくしい雄。永くを過ごした友人、いや、家族のように連れ添うふたりのさまを、羨ましく思ったのだ。

「…そう、か。あの伎良にもつがいが出来たのか」
「およそ、見合わない相手を得たようだ」
「……」

伎良の名の上に、国房が書いた名前。

「周霖(しゅうりん)…」
「花喰人(はなくいびと)、と仇名のついている花護です。つがいになった花精はことごとく短命で終わっている。国試の際にも、仮番で相手をした花精が理力を奪われすぎて枯れかけたとか」
「…物騒な噂だな」

花護や花精で、庭の区別なく名の知られた者は、二種類に分かれる。
一に執政と百花王。あとはあまりに強大な力を持つが故に、境を越えて名が知れ渡った類の者である。例えば夏渟の正朱旗、倫の公主令息や、簫(しょう)家の双子。とうに隠居してしまったが、冬園の花護、在遠(ざいおん)などだ。

周霖もまた、それにあたる。
流石に花喰人の二つ名までは知らなかったけれども、春苑の執政が特に目をかけている若き花護の話は、秋廼人である自分も聞き及んでいた。
獅子に似た金茶の癖毛に、眼光鋭い涅(くり)色の目、体躯に誂えたかのような、大刀の剣鉈。
およそ、伎良の印象とは程遠い。

「…伎良は、早くに逝くかも知れませぬ」
「おい!」

明日の天気を断じるような言い振りに、流石に声を荒げると、―――諦念を湛えた目が、黒々とした墨蹟を眺めていた。

「…あれは、歴代の柳花精の中でも弱い部類に入りましょう。
柳自体は強い種だ。なれど何においても個体差はあるものです。周霖さま相手に、長く保つとは思えません」

あの花護の相手は、私でも無理だ、と。決して嘘を吐かない口で、彼は言った。

「可哀想ですが」
「…別に、そうと決まったわけじゃないだろ」


『花護の手をとり、思念を巡らして、…まさか、と思う花精の顔が浮かぶこともある』
『実際につがわせて、早くに枯れる花もおりますが』


でも、おそらくは。―――国房殿。


「それでもそのときは、…最上の相手、なんだろ」

千里の言葉が脳裏に甦る。
そして、隣でこちらを凝視している花精が、己の袖を掴んだ感触も。
夕暮れに迷う幼子が―――ようやく巡り会った恋人が、するかのような。

「妻に三行半を突きつけられた身としては、偉そうなことは言えねえけどな」
「…仰るとおりで」
「…おい」

つんと取り澄ました横顔は、釘を打つ場所へ几帳面に印をつけている。良いこと言ったんだから、そこは否定してくれよ、と思ったが、面倒だったので敢えて口に出すのは辞めた。
書き物をしているときに、お喋りは禁物だ。これを一から書き直すことを考えれば、自然と意識も集中する。およそ前向きの性格ではない国房は、失敗を恐れて万全を尽くす遣り方しかできないたちなのである。
筆を構えて紙へ向かう。少し離れたところから、衣擦れの音がする。それが、心地よい。



自分もまた、「越境の腐れ縁」と不本意な仇名を付与された上、くだんの物騒花護の配下につく羽目になるとは知らない、まだ平和な日のことであった。


>>>END


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