(2)
「厠に、行きたいんですけど」
扉の隙間から顔を覗かせた下男は、あからさまに渋面を作った。変な情けが沸かないように、数ヶ月で人が代わる。この彼も、次に来るのは二月後だ。
俺が寝起きする部屋には、夜、しっかりと錠が下ろされる。何か用事があるときは呼び鈴を鳴らす。鍵を持つのは世話役の下男と、屋敷の主のみ。後者は、今ここにはいない。何処に居るのかは―――知っている。
努めて丁寧に希みを繰り返すと、男は小さく舌打ちをしたのち、頷いた。
「お早く、お願いいたします」
「…分かっています。…あの、」
「はあ」
「自分で戻るので、ついてこなくて、大丈夫です」
「……」
しどろもどろに付け足した言に、相手は、当然だろう、と言わんばかりの顔つきで、扉の脇にあった椅子へどかりと腰を据える。床の煙草盆へ煙管を近づけ、手持ち無沙汰な仕草で煙をふかし始めた。
俺は頭を下げると、夜着の裾を翻した。白い残像が舞う。
つがい―――正しく言えば、かつてのつがいたる男は、俺が花精の格好をするのを好んだ。好意的に解釈をしたら、そうなる。人間の衣服を買う金が惜しいのだと、使用人たちは嘲笑っていた。多分、そっちの方が真実だ。
屋敷の渡殿をひたひたと叩く、俺の足音だけが響いている。
一番近い厠は、俺の住まう東北対(ひがしきたのたい)を出たところ、北対(きたのたい)の端にあった。使用人と衛士を除けば、この家に居住している者はたった三人。以前はともかく、今の俺は東北と北、この二つの棟しか行き来の要がないから、実質は主たる周霖(しゅうりん)と、そのつがいである、柳精の二人だけで広大な屋敷を使っていることになる。人数に反して、不必要にだだっ広い。小便に行くのも一苦労だ。
廊下の上方に掛けられた灯りを頼りに、北の対へ入り、いくつめかの角を曲がったときだ。あえかな声が、耳朶を打った。
「…っあ、はぁ、周霖、さまっ…」
声よりも遙かに高く、ぎいぎいと何かが軋む音がする。それから、張りつめたものを打ち据えるみたいな、ぴしゃり、ぱし、という音。
「―――っ、」
反射的に耳を塞ぐ、俺の手は汗ばんでいた。そして、栓をしたにもかかわらず、一度聞こえてしまった情交の聾(こえ)は、消えてはくれなかった。
曇り硝子を張った格子戸が、薄く開いている。ぼんやりとした光が漏れて、足元を照らしていた。一刻も早く立ち去りたいと願う心の裏腹に、俺の足は縫い付けられたみたいに動かない。
「あっ、奥、深い…っ!こす、擦れて、ああっ、僕、いっちゃう、」
「…」
寝台で絡み合うふたつの裸身。ひとりは華奢で色が白く、食い散らかされる獲物のように屈強な体躯の下敷きになっている。枕には黒髪が散り、ほっそりとした手が上に乗る男の首に絡んでいた。如何にもやわらかそうな尻を拓き、彼の怒張を迎えている。その窄まりはしとどに濡れ、赤黒いものが出入りするたびに、ぬぽぬぽと鳴った。既に一度、中で精を受けたのか、ぶつかる尻肉と男の腰骨の間に、ねばった糸が引く。
乱れた前髪の下、長い睫毛をもった目蓋が、快感を堪えるように閉じている。
俺は、その瞳の色を知っている。
自分もかつて、同じ色の目を持っていた。
陽光に輝く澄んだ翠の双眸。柳精の証。
「あん、ぐっ、そ、それはぁ、あっ、はあんっ!」
「!」
柳精の悲鳴がさらに大きくなる。しなやかな脚が担ぎ上げられ、ほぼ直上から突き下ろすみたいに抽挿が始まる。犯す男は半ば立った体勢でぐっと腰を遣った。
ちゅぶ、ちゅぶ。空気と液体が混ざり合って、いやらしく丸見えになった後孔は、その眺めに相応しい卑猥な音を立てた。ひきつれた内側の肉は赤く、太い陰茎に縋り付く。
「あっ、あっ、しゅ、りんさまぁっ、ひあっ、ああああっ――!」
ぶるぶる震えていた太股は、広い肩に掛かったまま、ぴんと爪先までを伸ばした。敷布にさざなみのような皺が寄る。
柳精が気を遣った後も、男は構わずにそこを穿った。ひたすらに蹂躙される彼の口脣からは、あ、とか、ひい、みたいな、言葉にもならない喘ぎが漏れるだけだ。脱力しきった両脚が乱暴に拓かれる。折り畳まれた格好の花精は見るからに苦しそうだったが、自分の快楽だけを追い掛ける動きで、男は抜き差しを繰り返し、じきに全身の力をふっと緩めた。
「…は、っ」
低い吐息に、ぞくり、と俺の躰の裡が震える。
汗と体液にまみれてもなお、周霖の美しさは損なわれていない。むしろ満足に欲を充たしたあとの獣のような傲慢さが、彼の美形に華を添えていた。癖のある金茶の髪が、たくましい首や肩に貼り付いている。それを面倒そうにかきやって、絶え絶えの呼吸をする花精から、無造作に己の雄を抜き去った。
「はぁ、うん…っ」
甘い衝撃に花精が目蓋を開いた。しろい手が、跨る男の腕へと伸ばされる。応える周霖の姿を見たくなくて、出来る限り気配を殺したまま、扉の傍から離れた。遅すぎるくらいだった。
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