(5)
奴は手早く袍を改め、椅子の背に掛けてあった外套を取り上げると、堂々とした足取りで出て行った。すっと正された姿勢、風を切る広い肩。花婿というよりは、凱旋する将のようだった。
(「…やな奴だ」)
俺の乗っているきらびやかな寝台、急拵えで調えられた帳や箪笥、白蝶貝の象嵌が施された卓などが、この男の背景に据えられた途端に醜悪に安っぽく見える。元より保つべき矜恃なんて皆無なのに、どうにも劣等感を刺激される容貌と、雰囲気だった。
こいつはもっと違う遣り方で俺の尊厳を傷付けることが出来た。妹が連れ戻されてしまう、とか、俺が無礼打ちにされるとか、最悪な結末もあったかもしれない。
それに比べれば乱暴されることくらい、どうってことない。犬に噛まれたとでも思えばいい。
なのに、何故、こんなに釈然としないんだ?
「さて、」
緋色の装束に包まれた背中が、格子の扉の向こうへ消えた。風を煽って、戸がぱたん、と閉まる。皮切りにするように、清冽―――さん、が口を開いた。さて。あまり良い感じのしない口調だった。
「…取りあえず、半身だけでも起こせますか。寝転がっている人間と話すのは好ましくないので」
「…悪かった、…です」
です、と付け加えたのは、相手の柳眉が僅かに跳ね上がったのが見て取れたからだ。なんつうか、高飛車。まあ、彼の仕えている家と俺とじゃ、随分格が違う。
突っ張った肘から下に力を入れて、ゆっくりと背を起こす。ひとつ動作をする度に、骨が苦鳴に叫んでいる気がする。決して大袈裟じゃない。筋肉痛と打ち身の鈍痛が一挙に襲いかかってきた感じだ。
自然、息を荒がせながら身体を起こし、続けて、脚を床へと持っていった。寝台の縁に沿って、そろそろ降ろす。素足が触れた床はひんやりと冷えていた。
「なんともまあ、ひ弱なことだ」
「……」
「失敬。嘘が吐けない性分なもので」
「…さいですか」
再び、袖に口許を隠した格好で、清冽さんは俺をじろじろと観察した。遠慮がないのはこちらを侮っているからじゃなく、性格なのだろうか。
いや、やっぱり、馬鹿にされてるな。だって鼻で嗤ってるもん、こいつ。
「我々には今少し時間がある。それまで、貴方に聞きたいことがあります。包み隠さず答えて頂きたい」
「時間があるとか、…手回しとか。一体何の話だよ」
「喋りながら手を動かすことは出来ますか?…結構。その、だらしない袷を何とかしてください。下着は後ろです。紅蓋頭の装束は定められたものを正しく纏わねば汚く見える。全て身につけることです」
「……はいはい」
「はいは一度で結構。今後、二度以上言うようであれば貴方のことを暗愚殿と呼びますよ」
「…はい」
かつてこれほど他人(他花?)に馬鹿にされたことがあるだろうか。答えは是だ。大いにある。
なので、俺はとろとろと手を伸ばし、薄絹の襦袢と、さらにその下につける綿の下着を掴んだ。別にこの白い花精を苛立たせたいわけじゃない。身体が痛くて言うことを聞いてくれないだけだ。
「貴方は、私が何の花精がおわかりになりますか」
「え、」
「こちらを向かずに。お答えなさい」
背中に、冷淡な声が突き刺さる。正答が振り向けばそこにあるのだと分かっていた。あの比礼だ。刺繍されている花は、俺の腰に引っかかっている帯のように持ち主を示している筈。さっきは見損ねた。今も、…分からない。でも、視認したものを聞いているわけじゃないと理解もしていた。
「…わかり、ません」
「結構。それでは二つ目です。もう向いて宜しい。燕寿さまに伺いましたが、少しはことわりの力を操れるようですね。郷試(花護の国試の事前試験みたいなものだ)はもう受けたのですか?」
「…いや。その資格はまだ無いって言われてる。駄目もとで花精の認定を受けようとしたこともあったけれど…」
「そのざまでは無理でしょうな」
と、―――梔子(くちなし)の花精は言った。
「花精というものは、例え初対面の相手でも、その者が何の樹花か知るものです。それが花精の能力であり、性(さが)だ」
「……」
相変わらず扉の間際に立ったまま、彼は剣呑に目を眇めた。
「貴方が眩草精の子だと、私には分かる」
「…当たりだ」
事前に調べをしていれば容易い話だ。でも、違うってことは、何となく分かった。
半人半花が、何の花精の子どもかは、皆あまり気にしない。俺もほとんど聞かれた記憶はない。経過はともかく結果が全てだ、ってことなのかもしれない。
清冽さんの漏らした嘆息に、俺は、出来の悪い生徒の気分を厭と言うほど味わわされた。まあ、実際、碩舎でもまんまなんだけれど。
「燕寿さまのお考えが理解できない」
俺もだ、と続けようとして、止めた。
白い梔子の色と、誇り高い香りの様を併せ持つ花精は、決してこちらに語りかけているわけじゃない。これは詮無い、独白なのだ。
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