(3)
ああでも水うまい。最高。砂漠で行き倒れかけた旅人の心境ってやつか、これが。
口移しで水を与えられている事実に意識が向かないようにして、必死に味わった。時折、上顎の裏とか、歯の根元の感じやすいところをべろでなぞられたけれど、なんかもうクラゲか何かを囓っているんだと思うことにする。因みに俺は酢の物が好きだ。
「っはあ、んっ、ぷ」
「ふ、まるで雛だな。もう少し飲むか?」
「…うん、」
いやいや、うん、じゃねえぞ。素直に返事をしてどうする。水は欲しいが、燕寿は憎い。はたと気付いて、奴の、いかれた色の上着に取り縋った。なんせ、さっきから試しちゃいるのだが、身体が起こせないのだ。腰なんて、そこから蒲団に沈んでいきそうな感じ。輪切りにされて、代わりに鉛を注がれているんじゃないかとすら思う。
「…の、びん、水差し、ごと」
これ以上不埒な真似をされて堪るかよ。水差しの壜丸ごと寄越せ、と要求した。上客に取り縋る引き手みたいな格好になったが、背に腹は代えられない。袖に爪を立てる俺へ、奴は笑い声を上げた。これぞ育ちの良い御曹司が上げるべき、という模範的な快活さで。
己の中にあった燕寿像が些か崩れて、俺は呆気に取られた。それも一瞬のことだった。
「あっは、ひっでえ声」
「れ、が…、ん…っ」
くちゅ、と粘膜同士が擦れ合う、いやらしい音がする。
少し距離を取った奴の口脣は、水分と圧迫に、濡れた紅色に変じていた。滴が口脣の端を伝う。美しさと卑猥さが入り交じったその様を見入っていると、物欲しげだと勘違いしたのか、奴の顔が再び近付いてきた。
「…や、やだ…」
この不抜けた声と台詞は、あれか、自分だな。別の方法で死ねそうだ。
俺の煩悶などどうでもいいらしい燕寿は、水差しを酒びん宜しく呷った。そして、放り投げた。精緻な彫り物が刻み込まれた硝子壜は、壁に衝突して当たり前に割れた。がちゃん、ぱりん、と抵抗できない無機物が悲鳴をあげる。俺は尻を使って後退ろうとして、失敗した。腰も痛い、股関節も痛い、だが一番痛いのはそこだった。
「かくら、」
「お、おま、お前」
おーい、ちょっと、こいつ頭おかしいんじゃないの。その器物損壊に何の意味がある。昨夜の行状を鑑みるに、だいぶ変態認定出来ると思うけど。大体さ、喋った瞬間、絶対、水無くなっただろ。本末転倒野郎め!
「ちょ、来るな――――ひ…っ?!」
「いらなくなるまで、こうして飲ませてやるよ」
ぎらぎらした双眸に射貫かれて、俺は身を竦めた。既視感。
そうだ、この目だ。
刀を引き抜いて、紅の衣を裂こうとした。俺を仰向けにして脚を拓かせて、正面から顔を合わせて貫いた。まるで恋人がするみたいな睦言を囁きながら。
名前の通りの、燕の黒い羽みたいな色の双眸は底が見えず、ひたすらに熱っぽく撓んでいた。まじりけのない感情のすべてが自分に浴びせられている、その恐怖。
「寄るな、…来るな!」
「今更」
縋り付いた手を離そうとしたら、奴自身のそれで捕らえられ、寝台に縫い止められた。天井が燕寿の体躯で覆い隠される。どろどろの目。奇麗なかたちに弧を描く口脣。
「水より、もっといいものを遣ろうか」
「ど、どど、どけ、どけどけ、さもなきゃ死ねっ…!」
親父が生きていたら涙ぐみそうな台詞を吐き、無我夢中で暴れようとした。
勿論、無理。身体は相変わらず動かず、おざなりに着せ付けられていた衣の袷は、難無く乱されていく。俺の胸板は興奮に忙しなく上下していた。親譲りのなまっちろい膚の上には、赤い痕が点々と散っている。黒い髪がそこへ垂れた。
「痛い!…いた、あ、ああっ」
「少し痛い方がいいんだろうが、迦眩は」
乳首、噛まれてる。しかも半端無く。激痛で、眦の涙が膨れあがった。すぐさま、ぺちゃ、ぺちゃ、と噛みつかれた場所が丁寧に舐められる。じん、と、そこと、腰が痺れた。認めがたいことに胎の奥も。また歯が立てられる。太股が痙攣する。
「いだ、あ、ああ、あは、や、」
「面白れえ…。びくびくしてる」
裾から這入り込んできた掌が尻のあたりを撫でる。たった今気付いたんだが、昨晩、自分や燕寿の吐き出したものだの汗だので汚れまくっていた身体はきちんと拭いてあった。だが、どうにも中が―――胎の中が、変。
理由はすぐに判明した。曲線を手でたどって、奴は在らぬ処に指を差し込んだ。粘着音。俺はがくがくと腰を震わせた。なんか出てる!出てる!!
「たくさん注いでやったら、孕んだりしねえかな」
こいつは頭の中が変だ。はい、変態決定。孕むかよ、男なんだから!
「―――残念ながら、雄の成体です。今更どうにもなりますまい」
「!!!」
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