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誰に教えられたわけもでなかろうに、燕寿は計算高い性格をしていた。環境がそうさせたのかもしれない。獅子の剛胆さと狼の狡猾さ、そして狒狒の知恵。権謀で腐りきった上流階級においては何よりの才だ。
だから、初めは保身の為に言ったのかと思っていた。
敢えて後継の話を受ければ、一族の旺寿派が黙っていないだろう。その頭目は、他ならぬ実母だ。冷静な彼のこと、いらぬ諍いを避けただけのことであろう、と。

『…私は花精が嫌いだ』

波乱の家族会議の後、庭へ張り出した回り縁で、高欄にもたれてひとり、燕寿は外を眺めていた。
彼や、兄、当主がおりにつけて世話をしている庭は、客人を必ず案内するほどの出来だった。たっぷりと咲き乱れる梔子の花が、夜の空気に甘い匂いを放っている。

ご立派でした、と声を掛けたところ、燕寿は振り向きもせず、言った。

『だから、官吏になることはない。勿論、執政にも。兄から家を奪うつもりもない』

どいつもこいつも、お前のように花精らしくなければいいのだが。聞き捨てならない台詞に、清冽は腹を立てた。
自分ほど花精らしい花精はいない。清冽のすることはすべて、梔子の種のためだ。倫家の繁栄が即ち、梔子が族の繁栄につながる。
人間のくだらない権力闘争の片棒を担ぐのも、他人に悟られぬよう涙を零す旺寿の肩を抱くのも、すべて己が一族ゆえ。人のためと思ったことなど、一度もない。

『そう悪びれもせず言い切る図々しさが、「らしくない」と言っているのだ』
『心外ですな』

本心からの言葉を、彼は鼻で嗤う。
黒髪が夜風に嬲られて揺れている。その髪の色が自分のものと違うので、夫人は燕寿を避けるのだ、と家来たちは噂していた。理由だとすれば、あまりに馬鹿馬鹿しい理由だ。
それが、真実、理由であれば。


長い脚を持て余すように組み、燕寿は独白めいた吐露を続けた。

『私は、花精が嫌いだ。ひとに付き従うふりをして、弱々しく、たおやかなさまを見せて、その実、お前等の目的はひとを利用することにある。違うか?』
『仰るとおりです。…お互い様というやつでしょう。人間は強大な力を行使するため、花はその種を長く続けるため、契りを結ぶのです』
『そうしたい奴はすればいい。私は花精に頼らずとも刀をふるえる』
『しかし、火焔のことわりを操る業は、花精がいなければ使えませぬぞ』
『…火など、』

声は、清冽のすぐ耳元から聞こえた。
風は吹かなかった。空気は固まったまま、音もない。

少年は花精の背後に立ち、受け取ったばかりの剣鉈の切っ先を、突きつけていた。鼻の下でちらちら光る白刃を、ぞっとした思いで見下ろす。目の前に突然、抜き身が現れたようにしか見えなかったのだ。

『なくとも、これくらいのことは容易にできる。…しかし、そうか。ならば、どうすれば納得するかな父上は』

…翌日のことだ。
独り、ふらりと出掛けていった燕寿が、同じ日の夕刻、竜鱗の馬に牽かせて巨大な蟲の死骸を引き摺ってきた。硬い装甲を持ち、複数の目を持つその甲蟲は、経験を積んだ花護とて苦戦は必死の相手だ。勿論、倫家は大騒ぎになった。



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