(3)
『倫旺さまは、「お下がり」さまだ』
旗人たちの間―――いや、倫家においてですら、まことしやかに囁かれている噂がある。
当主は既に壮年を越していて、正式な跡取りを長子の旺寿と定めた。清冽のつがいである。
だが、それは「つなぎ」なのだと、みなは言う。
『執政の鴎仁さまが退かれたら、次は燕寿さまだ。何せ、戴天の相をお持ちなのだから』
『退位するまで待つこともなかろうよ。娶せの儀で、百花王がうちの御曹司を選べばすぐだ』
『しかし、それでは障りがあるじゃろ。今の執政の鴎仁さまは、朱旗の出であろう。同族潰しは外聞が悪いし、分家から何を言われるともわからん。倫家の風評が悪くなる』
燕寿はまだ年若い。二十にもなっていないし、花護になったとはいえ、娶せの儀はまだだ。それに、長子が後継となるのが世の習いだった。
『いきなり燕寿さま、と決めたら、奥様も納得すまいて』
『奥様は旺寿さまびいきだからな。それにだ、燕寿さまが執政になったら結局家は旺寿さまのものになる』
『お下がりでも、人が羨む倫家の主だ』
『なるほど、お下がりさま、というわけか』
『我らにはどちらもご縁のない話だがなあ』
『ふうん、「お下がりさま」か。また、随分な仇名を付けられたもんだ、俺も』
…好きに言わせておけばいい、と倫旺は笑う。
倫旺とて、そこらの花護に比すれば抜きん出た力の持ち主だ。
碩舎を修業したと同時に、花護の資格を得た。すぐの娶せの儀で娶われたのが、自分。
優しげな風貌に品の良い物腰の青年を、外見ではなく、その力を以て、清冽は認めた。国試の上位成績者に旺寿の名前が含まれていたと知り、誇らしくすらあった。
(「…だが、相手があまりに悪すぎる」)
まるでそこにだけ、光が射しているかのごとくに分かるのだ。
―――――戴天と、万目のちから。
清冽は、おくるみにくるまれている幼い燕寿の姿に、夏渟を預かる王を見た。
この嬰児は必ず執政になる。確信があった。叶うのなら、つがいになりたいとすら思った。
花精の本能は喉から血が出るほどにそう叫んでいたが、「清冽」という個は、ためらういとまもなく、望みを退けた。
清冽が燕寿を選ぶことは、倫家の為にはならない。すなわち、梔子が族の益にはならない、ということである。
そして、超常の能力を持った幼子は青年になり、すべての修業を待たずして花護となった。
勿論周囲は色めき立った。
倫の本家から執政が出るかもしれない。それも、予想していたよりも早く。
高官になるものは多かったが、執政は久しくいなかったのだ。皆、期待していた。
『娶せの儀には参りません。従って、私は執政にはならぬ。家を継ぐ気も毛頭ない。時期が来たら、ここから出て行きますのでそのおつもりで』
嫡男は兄上だ、決めたのは父上自身でありましょう、と彼が言下に切り捨てたとき、当主は椅子から転げ落ち、奥方は無表情、兄の倫旺は苦笑いをしていた。自分は確か、そのときも溜息を吐いていたか、と回想する。
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