(2)



納得して、ではなく、燕寿の威圧に負けて、緋旗の夫婦は泣く泣く養い子を手放した。供についてきた自分ですら、あの瞬間、迦眩は殺されてもおかしくない、と思ったのだ。
それほど、彼から発される圧力は凄まじかった。もしかしたら、完全なる演技では無かったのかもしれない。親をして化け物か、と言わしめる青年には、何処か底知れない部分があった。

どうぞお気の召すように、という答えを無理矢理引き出した途端、用はないとばかりにさっさと部屋を出て行ったので、場を取り繕うのは清冽の役目になってしまった。
元からこういうつもりだったのだろう。抱きかかえられ、くたりと首を垂らす迦眩の横顔を見ながら、言った。

『おそらくはもう、帰らぬ身と思われよ』

婚儀に際して倫家から贈ったものについては、返却無用、と合わせて申し伝えると、緋旗の男の顔色は白く、紙の色に変じた。
本来、道具の役目を果たすべき娘は、既に藩家のものだ。いま、兄すらも連れて行かれようとしている。義父母の目的は永続的に倫と繋がりをもつことであり、限りある金銭がその代わりになるはずはない。

『…そ、それでは、…しかし、婚儀の話は…』
『せめて、花精としてお連れ頂くということにはなりませんでしょうか』

取り縋るような声を出した義母へ、清冽は一瞥をくれる。皮肉にも、燕寿と同じことを言っていた。花精か、嫁か。そのどちらにも、彼はなれないのに。

『御身を弁えなされ。…まったく、正気の沙汰とも思えぬ』

本当に無茶をしているのは、いち早くこの場を去ってしまった燕寿なのだが。

『倫家の子息に無礼を働いて、命があるだけ僥倖でありましょうよ。先ほど申した通りです。貴方がたの家に子は六人。以外は元より居なかったと、そうお考えなさい。倫がこの件で関わることは最早ない。それでは、失礼する』

初夜の日に嫁がいない、というのはどのような身分の婚姻であろうと侮辱そのものだ。
倫家から違約金を請求されてもおかしくない、謀った迦眩が無礼打ちになりかねないほどの大事である。
それを分かっていながら、敢えて食い下がる彼らを、清冽は心底侮蔑した。自分の最も厭う類の人間だ。何の気兼ねもなく踵を返し、先を行く燕寿の後を追い掛けて、用意してきた車へと乗り込んだ。
軍馬に牽かせたのは万が一を考えてのためか、それとも脅しの一環だったのか。いや、目的を果たしたらさっさと帰りたかっただけなのやもしれない。
とにかくこの時の為だったのか、と呆れつつ、御者へ出立を促した。

『…これで、倫家の燕寿は乱心者だと噂が立ったら、どうなさるのです』
『あの夫婦は醜聞を恥じるだろう』と燕寿は事も無げに言う。『娘に逃げられ、息子はその手助けをした。紅蓋頭まで纏って、筆頭の家を謀って。表面的には倫に泥を塗ったことになる。それが世に広まれば、商いも立ちゆかなくなる。…黙るしかないというわけだ』
『家の権威を笠に着る遣り方は、お厭いでしたでしょう』
『時と場合によるな』

丁重に、力の脱けた身体を横たわらせ、襟元を緩めてやっている様を見、ついに観念した。

『…使えるものは、何でも使うさ』

これはもう、誰が何を言っても無駄かもしれない。



車箱の中は、人が二、三人、優に寝られるほどの広さがある。一段高いところには繻子の座布団が敷き詰められてい、清冽はそこへ腰を掛けた。
下の床面には蒲団と、枕。三段ほどに重ねられた褥の上に眠る花嫁が、傍らに燕寿が胡座をかいた。

迦眩は先ほどから失心したままだ。
夜通し燕寿に責め立てられたのち、義母の折檻を受けて彼の精神はへし折れてしまったようだ。客間での遣り取りの最中、燕寿の腕の中で意識を落とした。それからはずっと、眼を閉ざしている。
彼の、蝋に似た白い膚へ熱を与えんとするかのように、燕寿は、手を擦ったり、頬を撫でたりしている。しかし、しばらくは目を醒ますことはないだろう。身体に受けた傷もだが、心の糸が切れてしまっているのだ。

無理もないだろう、とは思う。だが、迦眩を倫家に迎え入れることと、同情することは、また別の話だった。



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