(10)



乱れた足音が近付いてくる。大きな靴が見える。義父だ。衣の裾が振れている。義母と二人して対峙していても、やはり燕寿が恐ろしいらしかった。
首の後ろにあたたかい、他人の掌が触れた。
猫の仔がされるように、吊り上げられる。剣鉈の鞘もそのままだった。苦しさにえづくと、傍らに膝をついた男が事も無げに言うのが聞こえた。


「ここで、この男のはらわたをかっ捌くのです」


「―――は、」
「いま、なんと」
「ですから、」

ぼんやりと隣を見遣る。長い睫毛に縁取られた、不吉な色の瞳が俺を見た。弧のかたちに歪む。ああ、ほんとうの鬼は、


こっちかよ。


「できそこない、とお言いになられたでしょう。ならばここで胎を裂いて、なにが足りぬのか確かめてみればよい」
「そ、そな、乱暴な」
「乱暴。どこがだ」

剣鉈が消える。首を掴んで―――支えていた手は、俺の背中を抱いた。
かしゃん、と涼やかな音がして、床が不意に遠くなる。代わって、蒼白になった義父母の顔の高さに近くなった。視界がぐらぐらと揺れているのは、たぶん、抱え上げられているからだ。身体の半分に、どく、どく、と鼓動が伝わってくる。人の体温も。俺のじゃない。

「私の娶るべき女はいない。いたのは、この男だけだ。私に無礼をはたらいた、狼藉者だけだ。貴方はこれを、うちの人間ではないと言った。ならば私がどのように扱っても異論はあるまい」
「しかし、それはあの娘の兄で…」
「あの娘」

燕寿は、首を傾いだ。

「何処に居る?…見たか、清冽」
「いいえ、どこにも。この家は男ばかり六人だと聞き及んでおりますが」

応じる返事は淀みない。まるで初めから、用意されていたかのような文句だった。

「な、いえ、確かに、確かにいるのです。合いの子の、むすめが、」
「どうか、わたくしたちの話を」

言い募る義父母を、男はつまらなそうに見返した。ややあって、床へ視線を落とす。低く、ぽつりと彼は呟いた。

「…この絨毯は、随分と見事な織りですね」
「えっ、ええ!秋廼から特に取り寄せたものです。もし、お気に召したのであれば――」


ふ、と空気が変わる。
二人、いや、三人が息を呑んだ音が、やたらと大きく聞こえた。俺は沈もうとする意識を保つだけで精一杯で、もはや何が起きてもどうでもいいやの域に達していたのである。

緊張の出元は、俺を抱えている、人のかたちをした昏(くら)い塊だった。


「これが血で汚れるのと、その良く回る口を直ぐさま閉じるのと。好きな方を選べ、

―――たった今」


俺が突きつけられたのと同じか、それ以上に最悪な選択を提示されて、義父母は合わせ貝のように黙り込んだ。
浅い呼吸を繰り返しながら、少し上にある長い首と、そこに乗っかった黒髪の頭を仰ぐ。奴は、射殺すような勢いで前を見遣っていた。そのまま二度とこっち見んな。疲れた。もう厭だ。何も考えたくない。


俺が覚えているのはそこまでだ。





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