SKM20




「たららさん、」
「ん、むぅう」
「たららさん、起きてよ。起きてくださいよ」

8時半過ぎちゃったよ、と付け加えると、彼の目は機械仕掛けのようにぱかりと開いた。次いで、骨張った体がびょんと起きる。

「いまなんじ」
「8時40分です」
「あー…」

と、彼―――たららさんは唸る。肩まで伸びた茶髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、禿げるんじゃないかと不安になるくらいの乱雑な動作で梳き直す。
曾祖父母の代に異国の血が入っていると吹聴する、彼の髪は地毛だと言う。染色のダメージこそ無いが、こんな扱いじゃ地肌がコンニチハする日は近いんじゃなかろうか。

「…なに」
「や、たららさん、そんなバリバリやってたらハゲ」

ぼぐっ、と僕の頭蓋骨に打撲音が響き渡った。グーパンだよ、グーパン。しかも拳の、骨の出てるところをもろに側頭部に当ててきた。

「ひどい…痛い…」
「痛くしたんだからトーゼンだろうがよこのクソガキ」

寝起きとは思えない鋭いパンチと悪態とに、悶絶した。這いつくばり蒲団へ額を押し付けている僕に、影が差し掛かった。必死の思いで振り返ったら、ほっそりした後ろ姿がふらふらとトイレへ向かって移動中だった。いつも通りの、ボクサーパンツ一丁の姿態は鼻血物だ。

僕がもっと幼かったら、一緒に風呂へ入ったり、悪い夢を見て眠れないのだ、と共寝をねだることもできたろう。
だけど、生憎自分は17歳で、そんな嘘を吐いたところで白眼視されるのがオチだ。煎餅蒲団からかろうじて分かる、彼の匂いでお茶を濁すしかない、なんて変態そのものの発想が浮かんだ。
口に出したら間違いなくボコられる。

―――でも、あの肌理細かな躰を抱き締めて眠れたら、どんなに気持ちがよいだろうか。

叶うはずもない妄想に浸っていると、たららさんが戻ってきた。擦り付けていた額を上げれば、目に入ったのはオンリーパンツ。しかも正面だからアレとかソレとかよく見える。先程の、焼き肉の匂いで飯を食う的誤魔化しが一瞬で吹き飛んだ。やはり本物の肉が一番良いに決まっている。

凝視していたら、今度は尻を蹴られた。容赦などある筈もなかった。

「痛ッ」
「痛くしてんだよ」と、薄い口唇が笑みを刻む。
「虐待反対ですよ」
「家ハラ反対」
「家ハラって何スか」
「家庭内ハラスメント?」
「自分で言っといて何その疑問形…」

首を傾げながら靴下を履くセクシーショット。こちらの恋情をわかっていてやっているのだから始末に終えない。
僕は嘆息した。この後、自分が口にする台詞は無論だが、彼の切り返しも想定済だったからだ。

「じゃあ、たららさんと僕が家庭を築けているって、そう認めてくれるってこと?」

案の定、たららさんは細面の顔をくしゃりとしかめた。
髪を掻きやろうとした手は肩と同じぐらいの高さで停止した後、カーテンレールにぶら下げられたTシャツをむしり取った。そんな取り方をしたら襟ぐりがハンガーに引っ張られて駄目になってしまう。
たららさんは洗濯に関わることが何よりも不得手、というか、てんで駄目だ。水を入れずにスチームのアイロンをかける、ティッシュをポケットに入れたまま洗濯機へ放り込むなど日常茶飯事。お話にならない。

「誰がいつ築いたよお前と」
「2年前、夏、8月19日、僕とたららさんが」
「それは便宜上のことだ」と彼は吐き捨てた。物凄く偽悪的に。「俺とお前は家族じゃない。ただの、」
「同居人、…ですよね」

先回りして、使い古しの解答を言うと、彼はばつが悪そうに僕から目を逸らす。
そういうことをするから、本気じゃないって分かってしまうんだ。自分の発言に罪悪感をおぼえているのも丸分かり。やさしい。詰めが甘い。頭が悪い。10歳近く年の差があるにも関わらず、子どもの僕に見抜かれてしまうなんて。
とは言え、単純に受け止めると、言葉の暴力としては、ダメージがある。
「本当」の家族(夫婦なら別だ、)だったら困る理由はあるけれど、「お前はうちの子じゃない」と言われているみたいで地味に傷付く。

「そう、だよ」
「……」
「分かってんなら出勤前に絡むんじゃないよ。シャツウシロマエ逆に着ちゃったじゃん」

そこは前後ろとか言うとこじゃないですか。

諸々の要因を含めれば、僕と彼、どちらが崖っぷちに居るのかや、発言の真意は明らかだ。15の時から同居して2年。その理解が出来るまで、時間は掛かったけれども。
僕が落ち込むと、結局彼は余計に凹むから、何でもないふりをする。あんたの思惑なんてもろばれですよ、の意味を込めてにっこり笑いかける。

たららさんの肩がびくりと揺れた。

見上げた彼は、確かに前と後ろを逆に着ている、微妙な格好だった。すごい間抜け。おかしくて、さらに笑みを深くすると、不愉快そうにそっぽを向かれた。

「その顔ヤメロ」
「えぇー…」
「すげぇいやだ」

顔の作りを今からすげ替えろと言われたって、生半可には出来ない。仮に整形手術の費用があったとしても、僕はそうはしないだろう。簡単に変えて堪るか。彼が執着する対象を。


―――僕の父と瓜二つだという、この顔を。


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