(7)



この季節の落日は本当に早い。白の絵の具を薄く溶かし込んだみたいな空は、もえる赤光で、浮かぶ雲との隙間を鮮やかに染め始めている。ひとみを射られて、俺は、眩しさに目を細めた。

輪郭のくっきりとした視界の中で、観春の膚は生気を与えられたように明るく映る。超然とした顔つきは、清冽さすら感じた。同じように、周囲のビルの壁や通り過ぎる人にも、毒々しいまでに赤く、けれど、儚い光が降り注いでいる。空気の所為か、温かみを一切感じない、そんな光だ。

同居人は俺に対する少ない表情パターンの内、無表情を選択していた。もう一つの代表格が嘲笑であることは、言うまでもない。
ただ、夕日の見せる錯覚なのか、確かにこちらを振り返って見下ろすその様は、まるで俺のことを待っているかのように見えた。
どんくさい連れ合いを、仕方なく待ってやっている―――ごく普通の、友人のような。
秀麗な容貌の上には倦厭の情が全く窺えない。こういう時の観春は大抵、俺を置いて行くか罵るかするのに。

立ち止まられるのは恐ろしい。…追い掛けたくなる。もしかしたら、今、俺の前に居るのは「彼」ではないだろうかと思ってしまう。

冬織は言っていた。真夜中の十二時から一時を除く時間にもたまさか意識が表層へ浮き上がることがあるのだと。そんな万に一つの可能性が思い浮かんだ。
いや、冬織じゃなかったとしても、観春が少しでも普通に接してくれるのであれば、以前のような関係に戻れる糸口があれば、俺は糸巻きの端を逃すわけにはいかない。

「…・・、っ」

なあ、俺。
一体、どちらの名前を呼ぼうとしているんだ?


途端に、冬織でも、――――観春でも、とにかく前に立つ男の手を掴みたいという凶暴な衝動が沸き上がった。先に行かせたくない、置き去りにしたくもない。…置いて行かないで欲しい。
唐突で、しかも自棄に近い感情だった。
いつかはどちらかと、むしろ総体としての彼と、別れる日が来るのだ、という、根拠はないが、妙な確信だけが俺を急き立てていた。それは、俺が常に考えていることであり、いつも忘れようとしていることだった。
腕を伸ばす。無造作にパンツのポケットに引っかけられている手が、指が、もう少しで触れる。

「…みは、」
「―――店は、どこ」
「えっ…?」

口を突いて出た己の声は、ぞっとするほど熱っぽい。それに事実総毛だってしまい、俺は呼びかけた途中で観春の名前を呑み込んだ。彼を捕らえようと伸べていた手も、下ろした。
すると、逆光で表情の暗くなった彼が、いつもの軽い、至ってどうだって良さそうな調子で訊いてきた。

「店って、…な、なんのだ…?」
「床屋。さっき自分で行くって言ってたじゃん。時間ずらして、明日」
「――ああ、」

頭から冷水を浴びせられたような気分で、額に手を宛がった。思っていたよりも早く、前髪が指先を撫でていく。そりゃそうか、後ろだけ伸びている訳じゃないものな。
急に振られた現実的な話題に、頭がついていかない。先ほどの、人の波の中でも標のように立つ彼の姿が、残像になって脳裏や視覚野にちらついている感じだ。

(「…しっかりしろよ…」)
「ショーゴ」
「ん、悪い。何でもないんだ」

人差し指と親指で両のこめかみをぐいぐい抑えた。こうすると、ぶれていた思考とかピントとかがちょっとはまともになるような気がする。
そんなに何処の店に行くかというのは重要な問題なのだろうか。そういえば観春も、髪をどうこうすると言い出すと、電車に乗って中心街まで出掛け半日は帰ってこなくなる。俺の場合はそんなこと一切ないぞ。





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