(5)



「もしもし、山科です」
『あ、どうも』
「すみません、メールの件」
『ちょうど空いてたんで、いいですよ。つか、自分も代わって欲しい日あるんで、交換って感じでいいすか』
「はい。そうしてくれると有難いです」
『今月の、…来週の金曜なんですけど、』

服もだが、この掌に収まる小さな機械もそうだ。
観春に買い与えられたもの。艶やかな、甲虫みたいなボディにたっぷりとしたインディゴ・ブルーの塗料が乗っている。あいつの携帯電話と全く同じ型だ。
友人と呼ぶに近い関係になって、携帯の番号を聞かれて、「持っていない」と答えたらこれまた翌日にぽんと、本当に駄菓子の類でも呉れてやるみたいに、渡された。通話料も全て観春持ちという徹底ぶり。今時、友人と話をするのに家に掛けるだなんて有り得ない、とまで言われてしまった。そんなものなのか。伊関も似たようなこと、言っていたけど。

電話で話すのは、苦手だ。メールもそんなにしない。人の財布で保たれていると思えば余計にだ。必然的に俺が一番連絡をする相手は観春になり、それをカモフラージュにして、冬織になった。他の連絡は最低限で、可能な時はメールで相手に断ってから、公衆電話を遣うようにしている。家賃や食費は、家事をするという引替の条件があるからまだいい。でも、電話代まで同居人に賄われているのは違和感がある。俺のそういう拘りを観春は貧乏人根性だと馬鹿にするが、こればかりは譲れなかった。
バイトで同じ時間枠に入っている同僚は最早慣れたもので、ツーコールほどで電話口に出てくれた。突然の申し出にも快く応諾をくれて、代わりに別のシフトを埋めることも出来た。これで稼ぎも確保できる、と胸を撫で下ろしていると、同僚はくっくと笑う。

『本当、よく働きますよね、山科さん』
「…そんなことないですよ」
『だって店長、シフト穴空くとすぐにヤマシナくんに連絡する、って言うしさ。それって、まず断られないって思ってるってことじゃないすか』
「うーん…」
『なんか目標とかあるんですか?欲しいものあっとか』

二重に否定するところなのかどうなのか、あまり私的な会話をすることのない相手だったので若干、途方にくれてしまった。学費が、なんて真面目に返したら白けそうだ。さりとて、代わりにこれと言えるようなものなど無い。


――――俺の欲しいものは、金じゃ手に入らない。


口に出来る筈もない本音がふっと過ぎって、頭も気持ちも、何もかにもが一瞬空白になった。そこを見計らうようにして、背後からどん、と重い衝撃音がする。アクリル板がびりびり震動し、振り返ると同時に箱全体が局地地震にでも遭ったかのように揺れた。

「…、…」

黙り込んだ俺を呼びかける知人の声は、遠い。緑色の受話器を持つ手が、その僅かな重みにすら堪えきれなくなって、落ちた。一方で、縋る縁を求め、軋むくらいに携帯を握り込む。いつもなら体温が移ってすぐに温くなるのに、冷淡な機械は一向に変わらぬままだ。
透明な板越しに、固い拳を押し付けてこちらを見下している彼の姿が、その全身を剣に変えて俺を突き刺す。中村観春―――恋人と同じ顔と、からだを持つ男が、冬日の弱いひかりすらも遮るように、立っていた。



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