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よく分からないが、取りあえず伊関の言葉に従って、1、2、の3でそれぞれ手を離した。どうせ作業時には帽子や手拭い、ヘルメットの類でぼさぼさになる頭髪を、執念に近い手の掛けようで彼はセットしている。自分とは対照的な気の使い方だった。今も乱れてしまった髪を必死で直しながら、こちらをじっとりと睨め付けている。そのリアクションは、割と俺にこそ赦されるべきものだと思うんだが。

「自分だってちょくちょく触ってた癖に…」
「…髪のことか」
「そう。それだよ」と、稚い仕草でこっくり頷く。「長すぎね?」
「そうだな…」

どうやら自覚がないままに弄ってしまっていたようだ。随分と長くなった襟足に手を遣ると、硬めの髪の感触が返ってきた。シャツの襟に届きそうなほど伸びている。このままいくと「みっともない」から「変」にシフトする日は近いかもしれなかった。

「そろそろ切らないと駄目だよな」
「そろそろどころか、今日明日に切っても後悔ないくらいだぜ」と伊関。
「ああ…」

気のない返事になってしまうのには理由があった。
学校を終えて、帰宅して飯の支度を中心とした家事を済ませる。それからバイトに行って帰ったら、残った馬力如何で勉強するか、しないか。で、風呂に入って就寝。これが俺の生活サイクルの基本だった。準深夜のアルバイトはほぼ連日入れており、自由な時間はごく僅かである。気兼ねなく散髪に行くのであれば、バイトのシフトを動かさねばならず、当たり前に給料に響く。シフトを変えずに行くとなれば、家事――主に観春の面倒に差し障りが出る。実に悩ましい。

「でも身だしなみは男の基本だぞー」

口許に両手を当てて忠言をくれる伊関はさながら、心の声だ。確かに、妙なイメージチェンジを謀っているのだと思われても、困る。腕時計に目を落とし、帰宅した後の作業と所要時間の計算をする。一時間あれば何とかなるんだよな。いや、もっと短いか。

「え、美容院って言ったら普通に二時間とか余裕っしょ」
「うん?」

布のパンツで手を拭く様が見過ごせず、タオルを差し出した。笑顔で受け取った伊関は、今度はそちらにべたべたと手を擦り付けている。水場に寄りかかってそうしている姿は不思議な微笑ましさがある。こいつのこうしたところが、友人の多い所以なのかもしれない。

「オレさぁ、駅前のrobotに行ってるけど、あそこは飛び込み原則禁止の次回予約絶対だもん。好きなアーティストさん、いっぱいで頼めなくなることもあるし」
「…アーティスト」

歌でも歌うのか。二時間もあればそれくらいのサービスがあるものかもしれないな。最近の美容院はまったく凄い。実に感心する。

「高そうだな」

素直な感想を述べると、伊関は小さく肩を竦めた。まあまあのお値段らしい。髪を切るという行為一つでも、本当に大変だ。

「そういう山科は何処に行ってんの」
「秀吉」
「……は?」
「秀吉」

間髪入れずに返事をする。ちゃんと聞き取れなかったのか、と二回目はより大きな声で店の名前を言った。確実に奴の耳に届いている筈が、伊関は駄目押しとばかりにもう一度聞いてきた。

「だから、どこ?つか誰、その武将は」
「旧市役所前の商店街にある床屋。別に千成瓢箪なんて背負ってない」

混み合っているときは外で待つこともある。回転が速いのですぐ店の中に入れるから、あまり障りはない。友人は知らないのだろうか。それなりの有名店だと思うのだけれど。
「切って下さい」と頼むと、鋏とバリカンと剃刀であっという間にさっぱり奇麗にしてくれる。別に歌なんて歌っても貰わなくても三十分で終わらせてくれるなら御の字だ。頼めば髭だって剃ってくれるらしいし。いいじゃないか秀吉。
伊関はダース単位の苦虫を噛み潰したみたいな渋面を作った。



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