(19)



一度これ、と決めたときの冬織の決断力たるや、素晴らしいものだった。こちらが、是とも否とも云わぬ内に、再び俺を抱えて立ち上がらせ、散々悪戯をされて消耗していた俺がのろくさ腰を上げた途端、部屋着の上を、がばっと脱がせたのだ。

「うわっ!」

ついさっきまで着ていたフリースが宙を舞って飛んでいき、ソファの背凭れに着地する。呆然と眺めていたら、腰のあたりにすうすうと風が吹いた。見下ろして確かめるまでもない。脇腹にあたるのは、冬織の頭。素肌を擽るのは、明るい色の、柔らかい彼の髪の毛だ。きれいな顔は至って真面目で、ウエストゴムの両端に指を引っかけ、今しも引き摺り下ろさんとしている。

「ちょ、待った!待て!!勘弁しろ!」

何故、髪を切るのに服を脱がなきゃいけないんだ!
冬織はきょとんとした面相になり(脱力するくらいに可愛らしい表情だった)、次いで、しゃあしゃあと言い放った。

「だって、切った髪がつくじゃないか、服とか、…襟とかに」
「ゴミ袋、頭から被ってやれば何とかなるだろ?!と言うか、まだそうするなんて一言も…」
「いいや」と彼。「風呂で切ってそのまま洗い流した方が絶対に早い」
「ふ、風呂ォ?」

風呂にはあまり健全な思い出が無いぞ。いや、正しく言うと冬織と一緒に入る浴室には、だが。一人でシャワーを浴びているときも、つい思い出しては赤面することがあるくらいだ。恥ずかしくて絶対に言えない秘密である。

「ひゃ、百歩譲ってそっちの方が早いとしても…」
「―――時間の価値を知れ。あらゆる瞬間をつかまえて享受せよ。今日出来る事を明日まで延ばすな」
「えっ、」
「チェスターフィールド。さあ、今度も二択だ。俺に脱がされるか、自分で脱ぐか」

厳然とした声音に思わず息を呑んだ。こういう喋り方をしているときは、俺が何と反論しても無駄だ。経験で知っている。観春とは別のベクトルで、彼もまた相当な頑固者なのである。
振り返れば、上背のある体躯をすっと伸ばし、こちらを睥睨するかのような視線に出遭った。長い睫毛は白磁を思わせる頬に品良く翳を落とし、口脣の端は、微笑みと無表情の中間でうつくしいカーブを形作っていた。古い絵画にある、王太子の似姿を見るような気分だ。惚れた弱みが多分にあってか、威圧感は観春以上だ。こうなると、俺は反論の余地を失してしまう。どんなに暖かいとは言え、インナー一枚では肌寒い。鳥肌の起ち始めた肩を落とし、しぶしぶ頷いた。

「わかった。自分でやります…」
「よし。…じゃあ、俺は鋏とか適当に準備するから。青梧は先に行ってて」
「…ああ」

半纏の裾を翻して歩き去る背中は、この上なく上機嫌だ。ずんずん歩いて行って、じきに奥の部屋から扉の開閉音が聞こえてきた。髪切り用の鋏なんて、観春の部屋にあるのだろうか。よくわからん。
ここに居ても仕方がない、もし戻ってきた彼と鉢合わせたら、今度こそ身ぐるみ剥がされかねない。俺はソファからフリースの上着を取り上げ、風呂場へと向かった。

洗面台の脇のラタンシェルフに部屋着を引っかけ、下着をどうするか迷い、取りあえず履いたまま浴室へ入った。裸の方がいいのかもしれないが、羞恥心の方が勝った。今更、恥ずかしがる間柄でもないのだが、素っ裸で髪を切られている自分を想像して、悶死しそうになったので止めにしたのである。

浴室の、タイル張りの壁面には等身大の鏡が埋め込んであった。これが恐ろしい品物で、しっかり曇り止め加工がしてあるものだから、蒸気が充満しても少し経つときちんと像が映る。その威力は説明したくもない出来事の所為で確認済みだ。

「…散髪だなんて、…そんな特技、あったんだなあ…」

高い天井に声がぼわぼわと反響して消えていく。自分の声なのに、妙に年寄り臭くきこえて苦笑した。
身体を洗うわけでもないのに椅子に腰掛けるのは躊躇われて、迷った末に浴槽の縁へ尻を落とす。少しは温めておくかと、シャワーのコックを捻った。湯が細かな雨になって降り注ぎだした。次第に膚が湿り気を帯びていく。
予想していたことだけれど、水分を含んだトランクスは世も憐れなことになっていた。気持ちの問題だからいいんだ、と己に言い聞かせる。


髪を切るだなんて、そんなこと、出来るとは知らなかった。彼も言いはしなかったし。観春だって不思議なところで器用な性質だから、同じ身体を共有する冬織にも片鱗はあるのかも。いや、それこそ人格特有のスキルというやつかもしれない。
…考えて、首を横へ振って打ち消した。厭な思考だ。よせ。


床屋の予定を話したとき―――違うな、俺の誤魔化しを看破した時分の彼は、澄ました面つきをしていても、雰囲気は常になく刺々しかった。冬織が、あんな脅し文句を口にするのは本当に珍しいことだ。
基本的に、俺は冬織に正直だと思う。元々、隠し事のできる性格じゃないってこともあるし、今回みたいにとても言い出せないような内容のときは、嘘じゃないが、事実全てではない、そういった遣り方で、差し障りのないところだけ打ち明けてきた。概ねそれでうまくいっていたのだ。
勘の良い彼のこと、もしかしたら観春関連で俺が落ち込んでいたのだと、気付いているのかもしれない。

鼻歌でも歌っていそうな様子でいた、あんな風に楽しそうな冬織を見るのは、なにより倖せなことだ。
どうか、単なる思いつきでありますように。俺のことを慰めるためだったり、哀しい配慮であったりしませんように。

何処に居るとも知れない誰かに、無責任な祈りを捧げながら俺は、やってくる足音に耳をそばだてていた。

>>>続く



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