(18)



熱をもった掌が、胸板にぺたりと触れ、首、頬、と移動する。開きっぱなしで喘ぐ口まで戻り、下唇のカーブをするする撫でた。口腔に滑り込んできた指を舐めてしまうのは、仕込まれた所為だとしか、そうとしか、弁明のしようがない。彼に掛かると、俺の身体の統制はきれいさっぱり失われる。

(「駄目だ、…負けた…」)

あくまで冷静で、しかし、どこまでもやさしげな色を失わない声に内心で白旗を振った。選択の余地を残してくれているようでいて、結局いつも、彼に額ずくしか道がないような、気がする。すべて自分の選択だろうと言われれば、終わりである。北風と太陽、なんて懐かしい童話の筋書きがふと思い出された。


北風、と、太陽。
脳内にぱし、と一縷の光が奔った―――でも、それだけだ。

「…ぃ、わ、わかった、から。放してくれ。ちゃんと話す」

テーブルに激突しかねない体勢で頽れている俺を支えている冬織へ、降伏の意思を告げる。決めたならすぐだ。さもないと、正気付いたら朝、なんて、取り返しの付かないことになりかねない。

「…正解。よくできました」

僅かばかりの傲慢さを含んだ、艶やかな笑顔を見、相当に後悔した。とんでもなくいい毛並みと、鋭い歯牙にも持った豹がにこにこしているみたいだ。こんな顔して笑う男に、端から適うわけ無かったのだ。



話す、と、ただ言うのは簡単だ。実行に移せるかどうかは、また別の話になる。
冬織曰くの、俺のアップダウンの原因は到底明かせたもんじゃない。
深刻ぶるのは不本意だが、本人を目の前に「俺の悩みはお前なんだ」とばらせるほど、脳天気でも無神経でもないのだ。今後のあれこれはともかく、観春との付き合い方については、独力で解決しなければ。

「早くしないと、知らないぞ」

こちらの躊躇いを知ってか、知らずか、くすくす笑いながら、軽い調子で言う彼は、未だに俺を抱きかかえたままだった。
おとなしく話したら自由にしてやる、言わなきゃそれまでだ、なんて悪役然とほざく。どちらでも構わないというのはあながちはったりじゃなくて、俺が沈黙を貫いても、ほんとうに平気なのかも、と信じてしまいそうになる。
相当に疑わしげな目をしていたらしい。ついつい凝視すると、冬織は小首を傾げた。

「なに。どうした」
「…いや、その」

前方へ顔を向けようとした途端、頬に手が宛がわれた。さきほどの狂おしい熱は退いていたが、脅威であることには変わりない。

「ちゃんと俺の目を見て話しなさい、山科君」
「…無理」
「なんで」
「お前の顔、好きすぎて苦手」
「……」

だから、せめて、もたれ掛かるくらいのことはしておこう。平均的な身長と目方だ、それなりに重いだろうに、冬織は、まったく顔色を変えないままで俺を膝の上へ乗せている。謝るのも暴れるのも、今更だ。
乾いた口脣を舐め、彼の吐息が自分の脈動と互い違いで拍を打つのに耳を澄ませた。

「髪を切るのに、床屋に行こうと思ったんだけどさ―――」


流石は冬織だった、と言っておく。
床屋発言をした俺を、彼は、観春や伊関のように笑いものにしたりはしなかった。ただ観春の名前を口にしかけた途端、腹に回っている腕がぎゅう、と締め付けを強くしたので、話の方向を若干修正せざるをえなかった。

後ろ髪を引っ張られて罵倒されました、と馬鹿正直に言ってみろ、今度は冬織が地球の裏側まで落ち込んだあと、俺の服をひん剥いてそれ以上のことをされていないか、確かめようとしたり、端正な顔を憎しみに歪めて呪詛を吐く、なんていう行動に出たりするに決まっている。断定調なのは、以前に経験があるからだ。
嘘じゃない、でも事実すべてじゃない。このようにして秘密というものは増えていくのかもしれない。例え小手先の言葉で息が詰まったとしても、自業自得だ。
前に比べて、俺は随分と誤魔化しがうまくなった気がする。それでも、冬織や観春にとっては子ども騙しなんだろうな。

きっかけとなった伸びた襟足を、興味深そうに撫でながら彼はふうん、と鼻を鳴らす。

「それで、いつ行くんだ。床屋」
「明日。もうバイトも休んだし、…元からそんな気の利いた髪型してねえから。すぐに終わるし、安いものだよ」

いみじくも観春が言った通り、誰に切られようが幾ら金を使おうが、この地味な短髪がどうこうなる筈はない。彼の指が離れるのを待って、自分でも触ってみる。途中で、するりとした何とも言えない肌触りのものが指を通り抜けていった。
茜のひかりを受けて、輪郭を燃え上がらせていたうつくしい色を思い出す。今だけは触り放題だ。冬織の髪を軽く引っ張ると、彼は擽ったそうに身体を揺らした。

「冬織が来る前には間に合うから。今度は俺が、何か作って待っとく」
「……」
「とおる?」

急に黙りこくってしまったので、まともに彼を見れば、額を俺へ押し付けるようにして俯いている。なんだ、腹でも痛いのか?

「―――よし、決めた」
「あ?」
「どこの馬の骨かもわからねえ奴に、好きにさせるかよ」
「馬の骨…」

時代劇とかじゃ時々聞くけれど、滅多に使わない言葉だ。馬の骨。割と破壊力がある表現だとは思う。ひとつ疑問なのは、これまでの話の流れの中で、どうすればその単語が出てくるかってことだ。不理解も露わに眉根を寄せると、白皙の面がぱっと上がった。目が合ってにっこりされる。俺の希みの最たるところであるのに、ふつふつと不安が沸いてくるのは何故だろう。

「俺が青梧の髪を切ればいい」


そうして、俺の愛する流石の冬織は、傲然と言い放ったのである。




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