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冬織の決意はともかく、一分一秒たりとも無駄にしたくなくて、外着を適当に放り出し、部屋着を引っ掴んでリビングへと戻った。
二人分の飲み物を作っていた彼は、脱いだそばからジーンズやパーカーをソファの背に掛けていく俺を見るなり、がっくりと肩を落とした。時間短縮は俺たちにとって、絶対的な命題だ。色気のないストリップくらいで落ち込むんじゃない。

「…そんなにへこむくらいなら、こっち見るなよ」

行為が伴わないのなら、今更沸く羞恥なんて皆無である。男の、しかも長距離ランナー特有の薄さの目立つ身体だ。腿から下の筋肉はともかく、鎖骨や肩などの上半身の各所は骨がはっきり浮き出ている。我ながらハンガーみたいだと思う。幼い頃から実家の手伝いをしていた手はごつごつと荒く、膚だってブロンズ掛かった色合いだ。最近流行の美白とは対極である。冬織―――そして観春のような、溢れる色気など、欠片も持ち合わせがない。

そう考えるとシュチュエーションの破壊力というのは相当だな。「これから抱く」と宣言されてしまうと、途端にシャツを脱ぐことすら恐ろしくなる。数えるのも馬鹿らしいくらい、相手を受け入れたのに。

「へこむとか…、そういう問題じゃない…」

着替えきるまできっちり見物していた癖に、冬織はさも沈痛そうな面持ちを作った。うつくしい線を描く眉が悲哀のかたちに曲がると、問答無用で謝りたくなるから恐ろしい。
悪気無くしてした行為にうまい言い訳が思いつくものか。
分かっちゃいたが、俺は無駄に口を動かそうとした、が、形のいい額に手を当て、さらに深く溜息を吐いた彼は、同じタイミングでくるりと背を向けてしまった。さて怒らせたか、と心配したが、単にレンジのスイッチを切っただけのようである。

腹までたっぷりと湯を溜めたらしいケトルが、息苦しそうに鳴いている。横にはオレンジ色のミルクパン。カウンターに出ていたのは、無糖のココア粉末だ。金とモカブラウンのパッケージは、観春が気に入りで常備している代物だ。砂糖も、普段の調理用じゃないものが用意されている。鮮やかな羽をした鸚鵡の絵柄は、遠く知らない、南国を想起させた。

アルバイトとは言え職業柄か、コーヒーやアルコールに類する嗜好品は、こと執着の薄い同居人の数少ない拘りのひとつだ。日頃の家事において、滅多に開くことのない戸棚の一角には、彼が親の伝手を借りて海外から取り寄せたものもあるらしい。ひとり飲んでいる姿もしばしば見掛ける。水か緑茶で済ませてしまう俺とは大した違いだ。

遊興費を除けば、あいつの支出の大勢は、衣服だの靴だので占められている、と思う。衣装部屋だってあるくらいだ。直に聞いたわけじゃないが、品質が良くて似合うものなら、目に止まった時点で買ってしまうきらいがある。値札なぞそうは見ない。つまり、買い物のほとんどが常に「衝動買い」。家計という概念が存在しないのかと、荷物持ちで借り出されるこちらが青くなる始末である。
しかも1シーズン、2シーズン着たら処分することがほとんどで、観春がほんとうに大切にするものはなんだろうかと、疑問に思うことすらあった。
それだけに、彼が、ガラスの不思議な物体を慎重な手つきで取り出していたり(ガリレオ温度計にしか見えない代物だった)、刷毛でもって、コーヒーミルに溜まった豆の滓を除いたりするさまは、酷く非現実的な眺めだった。


中村観春という男は、嫌いなものは労働と退屈、などという、退廃の衣を纏った華族みたいなやつだ。独り暮らしの条件だったというアルバイトに、彼は喫茶店を選んだ。俺と出逢った前後のことだった。
果たして続くものかと思われたが、これがどうして、普段の放埒が嘘のように評判は良いらしい。今では店舗の副チーフのような立場に収まって、観春目当てでやってくる客は引きも切らないと聞く。常連の中には、観春の彼女になった女も居たそうだ。
一度、マンションにあいつの友人が訪れたことがあった。そのときに教えて貰った話で、実際に俺が、働く観春の姿を見たことはない。想像するのもなかなかに困難だ。

細切れの情報を繋いでみると、ごく不機嫌な時を除いては、観春の態度は至ってまともなようである。見栄えの良さは言わずもがな、バイトの接客には定評があり、技術も確かで、付き合いの浅い友人からの人望はそれなりにある。日頃の行状を俺が告げ口したとして――尤も、そんな相手はいないわけだが――誰も信じてくれないと予測出来るほどには。
仲が親密になればなるほど、適当になるやつなんだよ、と件の友人は笑っていたが、俺の記憶に染みついて消えないのは、彼が続けた台詞の方だ。青年は、何でもないことのように言った。「どうでもいい相手への横暴ぶりは、いっそ清々しいほどだぜ」、と。



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