(12)



「にやにやしちゃって、バイトで何か面白いことでもあったのかよ」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
「隠し事すんな」
「隠し事じゃねえよ」

ジャケットを脱ぐのももどかしく、千切りかねない勢いで袖を掴むと、冬織は笑い声をあげながら介添えをしてくれた。腕がふっと軽くなった、と思ったら、母親が子どもにするみたいに、背後から両の袖の端を持っている。

「お袋扱いじゃなくて、…せめて執事とかさ、美容師とか言えよ」
「…美容院だとそんなサービスもしてくれるのか」
「…お前、平成生まれだよな…?青梧…」

平成生まれどころか、僅かな差だけれど、お前の方が年上だろ、冬織。

だが、敢えてそう口答えする気にもなれなくて、諾々とジャケットを脱がせて貰うことにした。妙に素直な様子の俺に、彼は形の良い眉を悪戯っぽく跳ね上げた。「あれ、マジで子どもみてえだ」だなんて言って。

迷って、落ち込んで、決意をした。その原因たる本人を前にして、俺は盛大に照れていたし、同じくらい、済まなく思っていたのである。
仮定でも、別れることを考えてしまったのだ。
正直に懺悔をすればこの罪悪感が晴れると分かってはいたが、それは俺が楽になる方法でしかない。言えば、冬織は気に病むだろう。赦された時間の間は、少しでも希みのままに過ごして貰いたい。それが、数少なく俺に出来ることである筈だ。

さかんに後頭部を撫でる掌に好きにさせながら、笑ってみせた。殊更に繕ったつもりはない。これもまた、言おうと思っていたことだ。

「冬織におかえり、って言われるのって、新鮮だ」
「だろ?そう思って、寒い中待ってたんだ。感謝しろよ」

その為の半纏だったのかと納得がいく。
紺地に白い経緯絣(たてよこがすり)の、ごくオーソドックスな厚物は、実家から持ち込んだやつで、冬の必需品だ。
観春が着ようものなら、地球が真っ二つになりかねない(あくまで俺の心象だ)ところだが、冬織は平気な顔をして羽織っていた。しかも、俺が帰ってきても脱ぐ素振りすら見えない。なんだ、気に入ったのか。田舎から彼の分も送ってもらうべきだろうか。

「もし貰えるんなら色違いとかがいい」
「……」

…半分冗談のつもりが、神妙な顔つきで答えられると反応に困るんだが。


執事だかドアマンだか知らないけれど、ちぐはぐな格好の恋人は、やたらかしこまった動作でドアノブを押した。外との寒暖差にぶるりと身を震わせながら、招かれるままリビングへ入る。照明は限りなくあたたかで、空調は適温、踏んだラグすら、いつもに増して心地よく感じた。現金なものだ。
部屋に居るのが不機嫌最高潮の観春だとしても、誰もいない、冷たい部屋よりかはマシだ。常々そう思っていた。
暗い居間に電気を点し、何を憂うでもなく自然に溜息が出る、そんな独りの帰宅に比べれば、絶対に。今夜は溜息どころか、倖せ過ぎて呼吸困難になりそうだ。

「手、洗って服着替えて来いよ。何か飲むもの作っとく」と彼が言う。すらりとした体躯が目指す先は、今度は台所のようだった。
「…ありがとう」

忙しなく両手を擦り合わせながら応じた。外気との温度差には慣れたが、急に温められた手の皮が痒く感じられて落ち着かない。シャワーじゃなくて、風呂に入りたいな。無論、冬織が眠った後に。

「何が良い?コーヒー…は眠れなくなるか。ホットミルク?」
「お前はどうすんだ」
「あー、どうすっかな…。ベタにココアとかにしとくか」
「じゃあ、同じで良い」

いつもとあべこべだ。
尤も、あいつは用意したって飲まないことばかりだが。そもそも、それは観春の場合で、冬織のことじゃないしな。

「―――いつもと逆みたいだろ」
「えっ、…ああ…」

ケトルを火に掛けている後ろ姿を眺めていたら、ふいにそんなことを言われた。心の裡を読まれたのかと錯覚するタイミングに、肩がびくりと強張る。

冬織は、ダイニング・カウンターの調理側に、背の後ろに据えた二つの腕でもって、突っ張るみたいに身体を支えていた。
切れ長の双眸にはめこまれたひとみは複雑に煌めき、やや長めの髪は滑らかな膚を飾るように揺れている。明かりの所為で金茶に見えるそれは、落ちる日の、最も外側の色を想起させた。
絶対的なうつくしさに凍り付いた俺を、彼は慰撫するように見つめる。肩越しにこちらへ向いた横顔はあくまで穏やかだったが、俺はそこに、諦念の翳を認めた。


…やりきれない。


だから、ぐっと眉間に力を込め、「いいや、」と言い換えた。

「冬織は、いつだってそうやって俺を迎えてくれるんだろう?…少なくとも、俺は、お前にそうしたい」

揚げ足取りや、重箱の隅を突いて悦ぶ趣味はないけれど、伝えるべきことをなおざりにするつもりもない。
今、俺はお前の話をしているんだ。観春じゃなく、お前と対峙して、お前だけを見ているんだから。もし、いつか、互いに去る日が来るのだとしても、このことだけは、絶対に忘れないでくれ。



- 12 -
[*前] | [次#]

[1HL.top | main]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -