(5)



「糸居。おい、糸居ってば」

試みに、オレの背後で寝こけていた、糸居 帰一の背中を揺すぶってみる。
黒いジャケットの背を気持ちよさげに広げた彼は、予想に違わず全く起きる風がない。こいつは寝ていたって、指名された問題をミスなく解ける特技(最早特技と言っても過言ではないだろう)を持つ、漫画のような野郎である。おそらく一日の半分を寝て過ごしている、パンダかナマケモノのオトモダチだ。
中肉中背で顔つきも柔和、目は概ね半眼。校則破りでほぼノータイなのは、体制への反抗じゃなく、単純に忘れているだけ。これで、予備校全国模試が上位で無ければ、うちの教師陣はこいつに集中補習の刑を喰らわせていることだろう。

「おーきーろーよ、いーとーい」
「いや、まあ、起きねえっしょ、それは」

原稿に終われていたらしい立待が、パソコンから顔を上げて言った。周囲がやかましくて集中出来なかったのか、ヘッドフォン装備だ。三年の引退で、学園祭が終わった秋、報道部の部長を引き継いでいる。オレと同じ外部入学だからか、月下に対する嫌悪感が薄い。涙袋を暗黒色に染める隈さえ無ければ、ウノに誘うところなんだがなあ。

奴のノーパソの脇に置いてあった物に目を留め、オレは手を伸ばした。

「これ、ちょい貸して」
「え?別にいいけど」
「あんがとよ」

次いで、自分の弁当箱からフォークを取り出した。糸居の耳の脇に金属のペンケースを置き、その上にフォークの歯を立てる。黒板に爪、ほどはうまい効果は得られないかもしれないが、手っ取り早い方法だろう。ぐぐ、と握った手に力を籠めた矢先、眼鏡の報道部員が飛びついてきた。

「お、なんだよ」
「なんだよ、って何だよ!何すんの!」
「いや、ちょっと糸居を起こそうと思ってだな…」
「キーキーするつもりってか!マジか!」

キーキーってなんだよ。新しい言語だな。しかし、言わんとしていることは分かるぞ。おう、おそらくお前の言うキーキーというやつをやろうとしてんだよ。
立待はさあっと顔色を変えると、とても文化部とは思えない素早さで惰眠を貪る男の背後に回った。「ごめん」と呟くなり、糸居の脇腹を光速で擽り始めた。

「ふおっ」
「あ、糸居起きた」
「おー、センセー(糸居は時折そう呼ばれる)、おはよー」
「うわ珍しい」
「流石立待、ゴールデンハンド」

口々に掛けられた声に、糸居はまず己の脇腹を見、背後からそそくさと移動する立待を目で追い、窓の外へと首を伸ばした。

「…朝…?」
「数時間前だな、そりゃ」
「あ、キューマ」
「よお。おはよ」
「うん。おはよう。おやすみ」

ぐらり、と落ちかけた額を両手で支える。そして持ち上げた。人の努力――主に立待のだけれど――を、無駄にすんじゃねえ!

「お、き、ろ!」
「えぇー…面倒臭い…」
「今この瞬間お前が最も面倒だが、見逃してやる。起きろ。そしてウノをするんだ」
「したら、何かくれんの」
「寝かしてやる」
「やる」

眠りの国の糸居少年にしてはあるまじき、決然たる声。背筋なんてぴんと伸びちゃって、なんだ、やれば出来る子じゃないか。取引の内容に徒労感を禁じ得ないが、この際だ、致し方ない。
期待通り、早速糸居はぎぎぎ、と潜水艦のペリスコープのように首を旋回させた。…十和田の方へ。

「十和田さー」
「ゲッ、起きたのかよ電波!」
「真性とか仮性とか言い分けるの、基本的に日本人だけだからなー」
「…へ?」

悪い十和田。オレにも翻訳できない。





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