(9)



言い返しながら机から降り、月下のすぐ隣に座り直した。彼の纏う空気がぴしりと凍り付いていく。…なんかここまで苦手意識を剥き出しにされると、次のアクションに困るぜ。

「久馬、今、なんて…」
「オラ、十和田配れよカード。やるんだろ」
「お、おう…」

彼だけじゃない、糸居を除く全員が月下同様、動作を止めている。なんだ、ウノをやめてだるまさん転んだでも始めたのか。高校生の癖に。
若干退き気味だった、彼の体躯を逃がすまいと引き寄せて、その面に顔を近づけた。口脣が戦慄いて見えるのは――きっと気の所為だろう。

「は、う」
「いいか、折角英語の札があるんだから自分の都合のいい時に出すもん出せ。な?攻め手は念のためひとつ残しときゃいいんだから。色変えるのも、何も出すもんがないから使うんじゃなくて、機を読むんだよ」
「あっ、ああ…」
「しかしお前、本当に飯ちゃんと食ってんのか?」

肩とか肘とか、肉ついてるのか、ってくらいに骨の感触が分かるんだけど。なのに、妙に触り心地がいいんだよな、こいつ。女みたいにふわふわしてるんじゃなくて、すぽっと嵌る感じ。

「あの、きゅ、久馬…」
「あァん?」

なんだ。なんか文句あっか。

「見てる、皆…。あ、あと、そんな風に触られると、」

困る、と喘ぐように言う、その首筋はきれいな鴇色に変じていた。次いで、珍しくも窘める力を持った黒い双眸に背筋が泡立った。焦点は例によって微妙にずれていたけれど、校研の騒ぎを抜いたら、数少ない月下からの明確な反応で、―――要求だった。

「…おう。悪い」
「…ん、」

身体を拘束していた腕を解き、戦術の続きを授けるべく口を開いた。そして、妙に外野が静かなことに気が付いた。橿原が、城崎が、十和田が、イナバウワーよろしく極限までのけぞっている。今度は糸居までもが古典的な覚醒法、頬を抓る、を繰り返し遂行していた。

「んだよ」
「一回でいいから、キューマに悪い、って言われてみてえ」と十和田がぼやく。
「お前に悪いことなんてしたことねえから言う訳あっか」
「久馬が…謝った…」

おい、なんだよ橿原、お前まで。そのアルプス少女が立った的な発言は何の意図があってのもんだ?何故こうも驚かれねばならん。不本意だ。
そして、どうして城崎君は泣きそうなのかな?!

「お、俺、俺は、―――認めないからな!!」
「何をだ!!!」

解答はついぞ与えられることは無かった。何故なら城崎は、その俊足を活かして走り去ってしまったからだ。放り出された七枚のカードが、ばらばらと散っていく。級友を突き飛ばして教室を出て行ったキノの背中は、あっという間に見えなくなってしまった。流石、俺と並ぶ短距離走のエース。素晴らしい走りだぜ。
おーい、授業始まる前には帰って来いよ−。

「放棄、ってことは、必然的に負けは城崎だよなー」

にこにこと朗らかに言う糸居は、持ち込んでいるらしいブランケットを丁重に折り畳むと顎の下に敷いた。あ、と言う間もなく頭が沈み、全身が弛緩する。悔しい、とかそういう感情はないのか。お前さっき壮絶に負けていたじゃないか。色々言ってやりたいことはあったが、学年首席殿はさっさと夢の国へ戻ったご様子だ。仕方ねえなあ。
律儀にも落ちたカードを拾いながら、橿原がお伺いを立ててきた。

「もうこりゃ駄目だな。他の奴呼んで続きすっか?」
「そうだなあ…」

折角、月下がやり方を思い出したんだから、あと何回かやってもいいだろう。ストッパー糸居が寝こけちまった分、十和田がまたぞろ「王様ルール!」とか言い出しかねんが、殴るかどうかは結果で決めればいいわけだしな。

―――ところがだ。

がた、と椅子の脚が床を擦る音がした。凍り付いた表情が、オレの目線を超えたところにあった。

「おい、」

革靴が黙って踵を返す。

「…城崎探しにいくつもりかよ」

それまで黙っていた男が口を開いた。十和田からは例のにやけが失せている。低められた声音はあからさまな威嚇と嘲弄の色があった。だらしなく大股を開き、椅子の背に腕をもたせかけた格好で、二枚目半が彼を見上げていた。





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