(4)



そんなことを考えながら、しかし、立つ気力もなく、時間の経過を知ったのは、戻ってきた例の足音故だった。再び、板金が鳴る音がして(今度は随分と遅いテンポだった)、玄関のドアががちゃりと開く。

「おら、飯食うぞ」
「……」

ほら、こういうところが厭なんだよ。
確かに腹は空いてはいたが、いつも8時台の夕食に慣らされている僕としては、寝耳に水も甚だしい提案だ。
まあ、別にどうだっていい。食べたいというのなら、好きにすればいい。彼がここの家主なんだから、従うだけだ。

のろくさと腰を上げ、鼻腔をついた美味そうな匂いに「あれ、」と思う。馴染みの、出来合の弁当とは違う。

廊下へコートを放り投げ、階下の迷惑を斟酌しない勢いでどすどすと彼が入ってくる。その手には重そうなおかもちが提げられていた。

「それ…」
「あ?これ、店で買ってきた。適当にテーブルに並べとけ。俺は手を洗ってくる」

テーブルって、何。もしかしてちゃぶ台のことか。もしかしなくても、それしかないだろうな。驚きと呆れと疲労で、僕はかなり投げ遣りになっていたのだと思う。らしからぬ態度で、これみよがしに溜息を吐いてみせても、たららさんはちらりと一瞥したのみで台所へ行ってしまった。
ラグの上から丁重に銀の箱を持ち上げて、蓋をスライドさせる。皺なくぴん、と張られたラップに、水蒸気がたっぷり付いている。炒飯に餃子が二皿、麻婆豆腐も二つ。中華スープも入っている。ここの夕飯にしては、かなりの大盤振る舞いに入るレベルだ。脇に置いてあったビニール袋に気付き、中を覗き込む。頭を出した緑色の酒瓶に呆然とした。

「あ、…っ、あのっ!」
「なんだよ」

ジーンズで手を拭きながら彼が戻ってくる(この頃僕は、努めて彼の名前を呼ばないように努めていた。呼びかけの台詞の九分九厘が「あの」とか「すみません」だった)。
僕は青首を摘み上げて、たららさんの前に突き出した。

「これ、何ですか」
「チンタオビール」
「はぁ?」
「だから、青島ビール」とたららさん。事も無げに言う。「言っておくけどお前はミセーネンだから、やんないから」
「欲しくなんてないです、っていうか、これから仕事でしょう!いいんですか、こんなの呑んで!」

怒鳴る僕を尻目に、彼はちゃぶ台の脇を横切ると、景気よく衣服を脱ぎ始めた。セーターやシャツが衣装ケースの上へ放り投げられる。白い裸身が晒されて、同性のそれだというのに、思わず目を逸らした。その間にくたびれてスウェットを身につけたたららさんから、至ってけろりとした返事があった。

「今夜は休んだ」
「は、」

最早語尾のあ、すら言えない。
仕事って、そんなに簡単に休めるものか?中国人の店主は気さくだけれど休みやサボりに煩くて、遅刻なんて死んでも出来ない、とぼやいていたじゃないか。

「そんななりで中華食ったら汚れた時面倒だぞ。着替えたらどうだよ」

急展開の連続に混乱し始めた僕を余所に、ラグへ尻を落とした彼はビ−ルの栓を開けてしまった。コップへ注ぐこともせずに、直接、口を付けている。だらりと腕を下ろした格好で突っ立っていたら、茶色の眉が勢いよく跳ね上がった。

「のろのろすんな!冷めるだろ!」
「は、…はいっ!」



- 4 -
[*前] | [次#]


[ 本編 | main ]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -