(3)



「お前、何してんの」
「…いえ、別、に」
「ふうん?」

薄いベージュのトレンチコート、幅広の、鋭角の襟のシャツが黒いセーターに殊更に映えた。彼の膚が男にしては割と白い方だからかもしれない。下はスリムのジーンズに、濃紺の靴下。
たららさんは童顔、と、いうよりも年齢不詳気味で、こうした格好をすると、高校生にも大学生にも、正しく社会人にも見える。一緒に暮らしている僕ですら、このひとの歳が分からなくなりそうになる。
ぼんやりと見上げながら(座っているからであって、並んだら僕の方が5、6センチは上だ)、はて、いつ帰ってきたんだろうか、と考えていたら、彼は、眉間に深く皺を寄せてみせた。

「…なんだその顔。ひっでえな」
「…べつに、普通ですけど」と僕。些かむっときた。何か文句でもあるんだろうか。いつもと、何処も変わらない。
「あなたにとっては、見慣れた顔なんでしょ」
「……」

たららさんはしっかりと黙り込んだ。敷居の上に足を降ろしたまま、しばらくこちらを見つめ、それから僕の背後を眇目で見遣った。つられて首をよじると、目覚まし時計――この家に壁掛け時計の類はない――が、彼の標的のようだった。

時刻は5時を回っている。彼は大抵、仮眠をとってから、ぎりぎりに起きて僕と食事をし、慌ただしく夜の仕事へと出て行く。夕食は、近所のスーパーで安くなった弁当や、たららさんが作った簡単な料理(御飯と納豆または漬け物、焼き肉のタレで味付けした肉なんかだ)だった。
母と暮らしていた時分、食事を作るのは僕の担当で、つまり僕の方が断然うまく料理が出来ると思うのだが、余所様の台所で腕を振るいたいとは、…そもそも、逢って数ヶ月の他人と、仲良く食卓を囲む気分にすらなれやしない。

実際にここに居を定めるにあたっては、叔父の家に行ったり、さらに遠縁の親戚に預けられたりしていた。忘れもしない8月に、僕は初めてたららさんに逢った。少ない荷物を持ち込んで、同居が始まったのはその2ヶ月後の10月。一緒に住み始めて、僕らはたった2ヶ月しか経っていない。
いつでも出て行けるように、最低限の荷ほどきをしただけで、前の部屋から持ち込んだ細々としたものは依然、段ボールに詰め込まれたままだ。そのことについて、彼がどう思っているのかは知らない。

血の繋がりのある人たちより、完全なる他人の方が、幾分か好意的に受け入れてくれた、だからこのひとを選んだ。
父の為に、母の為に泣いてくれた。よすがになったのは、その点と、「多々良の所に行け」と書かれた、母の遺書だけだ。

「契、飯は」
「まだです」

食べているわけないじゃないか。分かりきっていることを聞かれて、僕の返事は自然、素っ気ないものになる。彼の方はそれで気分を害した風もなく「そうか」といつも通りの声で言う。薄い皮鞄が板敷きに放り出された。コート姿のまま、たららさんは踵を返した。

「…何処へ、」
「ちょっと待ってろ、すぐに戻る」

こちらを顧みることなく青年は言い、すぐに扉がけたたましく閉まった。がん、がん、と金属の階段を蹴る音が響く。僕は座り込んだままでぼうと、その音を追い掛けた。
…なんなんだ?夕飯の買い出しか?
彼は、僕の周囲の大人においては、群を抜いて衝動的な人間だ。いや、同級生を含めたとしても優勝間違いなしの「思いついたら」タイプの男だ。苦手な理由のひとつでもある。思考回路が読みにくいし、ひとの話なんて聞いちゃいない。何故、父や母はあんなひとと付き合っていたんだろう。結婚してからは全く逢っていない人ですが、と手紙には書いてあったが、頼る相手としては些か間違っていないか。



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