(8)



観春が指し示していたのは、学校の友人用に焼き上げたパイだった。蓋を開いたまま、置いておいたのに目が止まったらしい。

「パンプキン・パイ、だけど」
「そんなの見れば分かるし」
「…ああ、まあ、そっか」
「……」

ギザギザの歯を晒して笑っている焼き菓子を、無言で見下ろしている。なんだ。一体どうしたんだ。

「ほら、ハロウィンだし…」
「それも知ってる」
「…だよな…」

そういうイベントごと、俺よりは詳しそうだものな。
ふと、ひらめいたことがあって、台所の抽斗から風呂敷を引っ張り出した。挙動につきまとう視線を確かに感じつつ、ケーキ箱の蓋を閉めて布でくるむ。

「これ」
「…なに」
「焼いたから。…持っていけよ」

まさか、とは思ったけれど、食べたかったり、したのかなんて。
試しに焼いた昨夜の分は、台所の机に乗っている。でも、観春には出せない。この男はどんなものであれ、食べかけは絶対口にしないのだ。切り込みの入ったパイなど、もっての他。自分の為「だけに」作られたものじゃないと、絶対に食べない。
高専の友人の分は、等分して、原型を分からなくすれば大丈夫だろう。別に直接囓ったわけでもなし、却って丸ごと持っていくよりも手間が無いかもしれない。

「……」

風呂敷を突き出して数十秒、これは無視かと諦め掛けた辺りで、包みがひったくられる。少しの驚きをもって(観春がおよそ、ケーキの類を食べた試しはなかったからだ)、急に軽くなった手を握ったり、開いたりしていると、「馬鹿みてえ」と冷ややかな言葉が投げつけられた。
ジャケットを羽織り、マガジンラックに挟んであった手ごろな紙袋を抜き取った彼は、些か乱暴な手つきで弁当箱と風呂敷を押し込んでいる。切れ長の瞳がちらりとこちらを射た。

「浮かれてこんなの作ったわけ?」
「…いや、違う。南瓜を貰ったんだ。大量に。それの始末で、」
「ふん。どうだか」

鞄を手にして玄関へ行く後ろ姿を、惰性で追い掛けた。
惰性?習慣?とにかく、先に出るにあたっては見送らないと不機嫌になるのだから仕方がない。腰を屈めて靴を履く男をぼんやりと眺める。鉛がぶら下がったみたいに目蓋が重い。今更、眠気にやってこられても困るのだが。

「あんなので大騒ぎするだなんてくだらねえ。日本で言えばお盆みたいなもんじゃねえの」
「そうなのか?」
「知らないでこんなの焼いたのかよ」と、観春は侮蔑たっぷりに言った。肩越しに振り返る視線は、声音と同じく冷たい。
「元々は死者が訪ねてくる日だよハロウィンは」
「――――」


『ゴーストは、帰ってこなくちゃね』


――――あの、馬鹿野郎。


金属の扉ががちゃん、と重い音を立てて閉じる。出る間際、観春がどんな顔をしていたのか、硬直した俺の様子を何と見たかは、知らない。そんなことはもう、どうでも良かった。
沈黙だけがひたすらに降り積もっていく。朝方の、車や人の行き交う音、鳥の鳴き声、そういった一切が全くきこえない―――違う、俺の耳がその機能を放棄しているのだ。窒息しそうなほどの、無音の世界で、ひとり俯いた。

今夜、帰ってくるあいつは冬織だと信じよう。そうじゃなきゃ、叱りつけることすら出来ない。

俺の恋人は人間だ。死人と恋愛をした覚えなんてない。
お前は、生きている、血の通ったひとである筈だろう、と。




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