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兎にも角にも目下はパンプキン・パイだ。時節的にもいいだろう。
海外の行事ごとには、自分は相当疎くて、ハロウィンなんて正直何が目的のイベントなのか分からない。「トリックオアトリート」という文句と、その結果の遣り取りが如何なるものかってことくらい。仮装パーティーとかお菓子の交換会…では、ないんだろうな。

そんな益体もないことを考えながら、南瓜のフィリングを作り、焼き皿にパイシートを敷いた。格子状になったパイの上へ卵黄を塗りたくる。アンズのジャムでもいいらしいが、焦がしてしまいそうな気がして止めた。予熱で温めておいたオーブンへ皿を放り込み、終了。後は出来るのを待つだけ。
この作り付けのオーブンも俺が来る前まではほとんど動いていなかったらしい。
同居する前、観春の食生活は高級ケータリングの仕出しか、転がり込んだ彼女の家で作って貰うか、外食かの三択だった。現在はケータリングが俺、になったくらいの変化か。
強烈な橙のひかりの中で、パイ皿がくるくる回転している。夜中にする考え事なんて碌なもんじゃない、と改めて思い知らされた気分だった。

「…よし、」

ぐだぐだと悩んでいても仕方がない。ついでだから煮物のひとつでもこさえておくか。
散らかした台所を片付けて、鍋に水を張った。すると、玄関からがちゃん、と戸の開閉する音、次いで施錠音が聞こえてきた。

「……」

耳を澄ませる。足音。…今は、何時だ?ぐだついていたなりに集中をしていたようで、時間の感覚がはっきりしない。腕時計、は、調理の為に外している。携帯電話は部屋だ。くそ、電話があったかもしれないのに。テレビは点いていない。そうだ、居間の時計。
身を乗り出して天井近くへ掛けられたそれを確認しようとした、同時に、人影が奥の個室の扉を開くのが見えた。

「…、……」

身体を支えていた腕から、ふっと力が脱ける。筋肉がすじのひとつまで解けきったみたいだった。

「彼」なら、真っ直ぐにこちらへ来る筈だ。冬織は一秒を惜しみ、憎む。一時間が消費されていくのを漫然と見送ったりはしない。
時計を確かめる気力すら失い、俺はカウンターの縁にずるりと腹を擦りつけた。そうか。料理をするにあたって、もう一つ歓迎すべき理由が分かったぞ。

集中している間、自分は、どうやら現実逃避をしている。


同居人が帰宅の挨拶をすることはほぼ皆無だ。例外的に声を掛けてくるのは、俺が自室に居る時。台所や居間で仕事をしたり、くつろいでいる場合は横目で見ながら通過。極端に機嫌が良いか、悪いかって日に限っては何処に居ようが寄ってくる。

つまり今日は何でも無い日。今が十二時よりも前で、これから何処へも行かないのであれば、俺は「彼」に逢える。もしも、既に深夜一時を回っているのなら、

「…は…」

冬織――恋人に、逢えなくなって八日目が経過した、ということだ。
同じ屋根の下で暮らしているのにも関わらず、でも、普通の付き合い(この際同性であることは脇へ置いておいて、)だったらままある話なのだろう。異常なのは、逢瀬はただ一時間に限られている、その一点に尽きる。

暗澹とした心持ちのままで水場へ戻った。時計を、時間を、やはり確かめた方がいいんじゃなかろうか。いや、やるだけ無駄だ。思考がぐちゃぐちゃに縺れている。
水栓を捻って手を洗った。何処も汚れた場所なんてないのに、衝動のまま、手を冷やし続けた。まるで頭の代わりにでもするみたいに。
規則的に床を叩く音が響いている。磨かれたフローリングへ鏡のように彼の姿が映っている。分かったのは、俯いていたからだ。

「……」

見上げれば、観春が立っていた。
気怠げに首を傾いで、いつもの、見定めるような視線を突き刺してくる。瞬間、息が詰まって、馬鹿みたいに声無く口を開閉させた。
彼と会話をするにあたっては、大抵、言うべき台詞を準備している。予想もしない一言が観春の機嫌を損ね、怒らせ、ひいては俺を冬織から遠ざけてしまう。幇間(たいこもち)くさくて嫌気が差すが、糸の切れた凧のような暮らしの男に、大人しくして貰う為の方策だった。

「お、…おかえり…」
「……」
「…久しぶり、だな」

切れ長の眼窩に、炯々とひかる薄い色味の目。ひたすらに冷たいそれに、俺は、ズボンの裾をぎゅうと握り締めた。

…何か、間違えてしまっただろうか?

自覚はしているけれど、俺は賢い方じゃない。策を弄することも、空気を読むのだってあまり得手ではないのだ。この時点で既に、失態を犯してしまったのかも。
観春の顔が、すう、と近接する。ほんとうに、憎たらしいくらいに何処も彼処も整った顔だ。どうにもならない癖で、彼の面相を見ても思いつくのは恋人の事ばかり。だから平生はあまりまじまじと見ないようにしているつもりだ。泣いたりなんて、女々しすぎて出来やしない。

陶磁器で出来た、品の良いティーカップ。その縁みたいに薄手の口脣が開いていく。

「…本当に久しぶりだな」
「…ああ、そう…っ、だ、な」

らしくなく、しみじみとした口調に、つい眉根を寄せてしまった。生まれた溝へ、感情を詰め込んで誤魔化す。観春は吐息だけで笑い、
そして、額にキスをした。

「!!」

驚きに開いたままになった、俺の口脣へも。

まさか。

「冬織っ?!」
「悪い、」と「彼」は、愉快げに肩を揺らしながら言った。「…あまりにも可愛いから、騙しちゃった」


―――八日ぶりに逢えた恋人を口汚く罵ったとしても、誰が俺を責められようか。
「ふざけるな」「何考えてるんだ」とがなり立てる俺の背後で、オーブンが涼やかに「アマリリス」を奏でていた。





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