(5)
「こりゃ、大したもんだ」
「よし、では、次は二十に斬ってみせよ。二十に出来たら、同じだけの銀銭をやろう!」
跡俐は、口を噤んだまま首肯をした。
身体にぴったりとした赤い皮の上下と、色鮮やかな刺繍のしてある腰布、頭から顔に垂らし、覆面のように口元を覆う「被衣(かつぎ)」と呼ばれる衣装は、いずれも夏渟のものだ。彼の国に行ったことなどない。北央県にやってきた旅人から、無い銭をはたいて買い入れた服である。貴重な商売道具だった。
手に携えているつるぎも、花護の証たる剣鉈ではない。花護にとって、剣鉈は花精と同じくらいに大切で、身分を証立てるもの。別の用途で使うのは躊躇われた。今はある場所に預けている。
自分が披露しているのは、酒席でしばしば行われる余興のひとつだ。薪や木の棒を放り投げて、つるぎで切り刻む。落ちてくるまでに多くの木っ端を作れた者が勝ち。
力加減が強すぎると、斬る前に薪をはね飛ばしてしまう。普通の人間がやれば、せいぜい四つがいいところ、心得があるものでも十は保たない。それを十、十五と器用に切り刻んでいく少年に、通りがかった旗人が目を止めた。偶然ではない。玄冬宮を出てしばらくのところにある、庭都の遊興街までわざわざ足を運んだのである。
このような大道芸は、北央県の在所から、玄冬宮に来るまでの間、ずっと行っていた。老師の手伝いや、碩舎(がっこう)の合間に、農家や工場で日雇いの労働をして貯めた金は微々たるものだったので、不足した分はこうして芸を見せ、路銀に充てた。
花護の身分を明かしてしまえば、非難の対象ともなり得る行動である。剣鉈を使わなかった理由はここにある。念のため、顔も隠している。面を晒したままで芸をすると、後で稼ぎが狙われることもある。二重に、保険を掛けているのだった。
辞令が下りていない限り、跡俐は官ではない。少なくとも、自分ではそういうことにしている。だから罪悪感は毛ほどもなかった。金を稼げる手段があるのなら、有効に使わねば。
首尾良く二十二の破片を落とした跡俐は、仰々しく、胸に手を添えて頭を下げた。濃灰色の衣袍を着た旗人二人は、分厚い手で拍手をしながら口々に賞讃を送ってくる。彼らの周囲を取り巻く侍従と、通行人、街にやってきた客たちも同じく手を叩き、皿には幾ばくかの銭が投げ込まれた。
「どうじゃ、―――殿。本日の酒宴にこやつをお連れになっては」
「おお、悪くない思いつきよ。…小童、貴様あと幾つほど出来る。三十は、流石に無理かのう」
「……」
「こやつ、口がきけぬのか」
「口で斬るわけでもなかろうよ。よい、よい。言葉は分かるのであろう。指で示せ。このように、ほれ」
やろうと思えば鉋で削ったように、紙片のごとく斬ることも出来た。だがそれは、花護の業だ。流石にそこまでやっては怪しまれる。宴席に連れて行かれるのも歓迎出来ない話で、この辺りが潮時か、と跡俐は首を横に振る。
豊かな髭を蓄えた男が、顎を擦りながら、訝しそうに言った。
「何じゃ、出し惜しみか。まだ余力があると見たが。…なに、取って食おうというわけではない、宴の席で先ほどの芸を披露すれば良いだけのこと。金は…その皿に、金銭を二山盛ってやろう」
(「…金銭二山…」)
かなりの大金である。つましくしていれば、家族持ちの庶民が二年は優に暮らせる金額になるだろう。だが、座敷にまで上がり込むのは抵抗がある。いつ何時、この覆面を取れとも言われかねない。
なかなかに魅力的な申し出だが、さて。
「―――リ!」
「!」
「アトリッ!」
思考を中断したのは、他ならぬ自分の名前だ。しかも、あの発音で呼ぶひとは、一人しか心当たりがない。
爪先立ちになって人の垣根の先を見渡すと、派手な色彩に塗られた楼閣の屋根や、金文字の看板を背景に、長身が駆けてくるところだった。こうして見ても、彼の背丈は相当に高い。大抵の人間の、頭一つ分は上にあった。
いつも着ている黒い上着を隠すように、鼠色の外套を着込み、頭から首に、南天の意匠を縫い取った布を巻いていた。上着の襟かと思っていたが、被り物にもなるらしい。容姿も相俟って、ぱっと見は花精とわからない風体だ。
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