(9)
それでお前の話って何なわけ、と問うたところ、秀麗な、ともすると玉の彫像のごとくに整った容貌が、無表情なままで、赤い詰め襟の、首のあたりをとん、とん、と叩いて見せた。旗人たちを誤魔化すための言い訳につかった、痣。勿論、花紋などではない。玄が戯れに(あるいは本気で)つけた口吻の痕だ。
「虫刺されだ」
「幾ら陽気が良いといっても、虫が飛ぶとは思えませんけど」
「……」
「……」
お子様とはいえ、流石にばれている様子だ。
丁度、官舎に着いた頃合いで、若干の心配はあったものの、戸を開けた部屋の中はがらんとしていた。慌ててここを出た時には玄も蜜月も居たが、気配は、随分前に絶えた様子だった。
百花王が来ただけでも大事なのに、庭師まで訪れたら一大事どころの騒ぎじゃない。歴史書にでも載ってしまいかねない話だ。
つい、水場や竈、続きにある部屋までも確認してしまった燭を、跡俐は訝しそうに眺めていた。
「…答えられないんですか」
「蜜月がつけた」
「はっ?」
「だから、蜜月がつけたんだよ。さっき来た時に―――まあ、お遊びで」
まさか庭師につけられた、とも言えず。面倒なのでその責は友人に被って貰うことにする。疑惑の元凶は既に居ないと分かってはいたが、念のため、羽釜の蓋まで取り上げて、中身を覗き込んだ。当たり前に、あるのは黒い鉄だけだった。…出てこられても困るけれど。
「あなた方は…そういった、関係なんですか」
「まあ、喧嘩友達…ってやつなんじゃないの。人間風に言えば」
「……はあ」
肩越しに振り返ると、少年は暇に飽かせて観察を続けているようだった。
戸枠に背を預け、成長途中ながらも長い脚を組む様は、厭味なほどに様になっている。夏渟の、体躯にぴったり沿う衣装がよく似合っていた。目立ち過ぎるからと掛けて遣った外套も、誂えたようだ。
「美形は得だな」
「はい?なんですか?」
なんでもねえよ、と流す。
「…あ、言おうと思ってたんだけど。お前、もうああいうことするなよ」
「ああいうこと」
「大道芸」
くす、と微かな笑声。目も口脣も、笑いの形にはなっているが、表面的なものであることはすぐに分かる。ごくごく短い付き合いでも分かったこと。時折、跡俐はこうした表情をする。年不相応なことこの上ない。
むかっとしたが、抑えこんだ。年の功年の功、と内心で唱える。でも、直視していると噛みつきそうになったので、木蓋を閉じるふりをして背中を向けた。
「職の貴賤を問いますか。花精も」
「そういうことじゃねーんだよ。花護としてやめましょーねって言う話」
「そんなの、分かってます。辞令が出るまでとは思ってましたから」
「金に困ったら、俺を働かせればいいだけのことだ。お前が曲芸する必要はねえからな」
「…、は?」
一拍おいた後、跡俐が奇妙に高い声を出したので、視線だけ遣った。今度は心底驚いている様子だ。
(「…そうそう、そういうツラの方がまだマシだな」)
「つっても、客を取ることくらいしかできない上、見た目こんなんだからな。大した稼ぎにはならないが」
「客、…取る、って…」
「飾窓(しょくそう)だよ。―――躰を、ひさぐ」
春を売る、花街、などの形容は、春御方や花精を侮辱する言葉になる。それ故に、「飾窓」と呼ぶ。娼館の窓が、客見世と看板を兼ねて装飾過剰なことから、そう呼び習わされているのだ。
巡境使の花護を得たことは初めてではない。過酷な仕事だ。長い旅の間に路銀が尽き、給金を受け取れるほどに大きな街に戻れず、飯や、刀の研ぎ代に困ることもあった。花護だからといって、無条件に優遇されるわけではないのだ。結果、最も原始的で、効果的な行動を取らざるをえない。
花護の誉れは己が名前だが、花精の誉れは種族と、己の番を守ること。
そのためには、躰を売ることに躊躇いはない。どの花精もそう答えるだろう。
「あなたは、…それで、いいんですか」
「当たり前だろ。自分の花護に芸をさせる花精が何処にいるかよ。俺のことはうまく使え」
姿勢を正し、立ちん坊になった少年の隣をすり抜ける。心なしか、秀麗な顔は青ざめて見えたが、光線の具合だろう。幾ら春、といっても、他の庭に比べれば冬園の昼は短い。火の準備と、…それから、彼には玄冬宮の人事院に行って貰わねばならない。正式な辞令は直接受けるものだ。
「一番いいのは、そういう展開にならないことだけどな」
「…――肝に、命じておきます」
俯いた跡俐が、どのような心情で返事をしたのか、そのときの燭には分からない。
―――陽は、傾きつつある。
>>>END
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