紙のような安堵(5)



教室へ着いて、教科書を時間割の順に揃え、予習とばかりにページをぺらぺらと捲った辺りで眠気が訪れた。授業が始まるにはまだ1時間半以上もある。これはもう寝るしかない。
椅子を後ろに引っ張って、机の脇へ置いてある段ボールからジャージを取り出して枕代わりにした。
ロッカーが無いので皆めいめいに荷物置きを持っている。女子は可愛らしい布バッグか何かをフックからぶら下げているのが大抵で、男子は俺みたいに段ボールが多い。酷いと新蒔みたく積んだままで、時間の経過と共に雪崩れているのが常だ。あいつあれで美化委員とか言うから、とんでもない人選ミスだよな、俺のクラス。新蒔も好きでなったんじゃないだろうけれど。

ともあれふかふかの枕を作成し、俺は安らかな眠りについた。
懸案事項が片付いた後の休息は素晴らしい。欠伸をひとつして頭を埋めると、テレビの電源を切ったように力強く確実な眠気がやってきた。





(誰かに呼ばれている。)





「斗与、斗与!」

ゆさゆさと肩を揺らされて―――って、何だか覚えのあるシチュエーションだな。もっと穏やかに起こせないのか、それとも俺はそこまで寝汚いのか。すぐに寝られてすぐに起きられる、導入のび太で起床は火消しを心掛けているつもりなんだけれど。
酷い船揺れのように上下というか、前後にぶれる視界を厭々と開けた。今度は黒澤じゃなくて、まあ、案の定というかユキだった。

「置いていくって言うなら置いてくって言っておいてよ!」
「あー…お前の日本語、訳わからん…」

何か湯が沸騰するとか、馬に乗馬するみたいなことを宣っていやがる。ぼんやりとそう返すと、寝ぼけているのだと思ったのか、前後運動に拍車が掛かった。
無駄にでかい体と馬鹿力で揺すられると、俺の脳味噌がウニになるって分かってるのか、このたわけが!

「気持ち悪い!吐く!振るのやめろ!」
「…あ、ごめん」

あっさりと手放したユキを睨んで、目をごしごしと擦った。でかい円形の時計に刻まれた時刻は8時。ホームルームまではまだ時間がある。

「…早い」
「うん。まだ8時だよ」
「なんでお前いんの」
「追っかけてきた」

当たり前ですが、何か?と言わんばかりの口調に、俺はしっかりと頭を抱えた。面倒くさいから突っ込まなくていいよな、これ。
ユキはそんな俺の哀しい決意を量ることもなく、ぶうぶうと不満を垂れ流しにしている。

「ばあちゃんもさ、酷いんだよ。僕が着替えて飯食うまで何にも言わないんだ。あれ、斗与遅いな、って思って、部屋まで行ってノックして、居ないんだけど、って言っても教えてくれないし」
「それは…」

俺の所為じゃないぞ。

「で、東明さんとか黒澤君とか降りてきて、幾らなんでもこれは、って思って。靴みたら無いじゃない。学校行ったんでしょ!って言ったら、そこでようやく、もう行きよらす、とか言ってさあ。もう早く教えてよ、って」
「ばあちゃんにも深遠な思惑があったんじゃないの」
「そんなのあるわけないじゃん。本能で生きてるひとなんだから」

―――お前もな。


先輩以上に不毛な会話を繰り広げるユキと俺は、人生において貴重な40分を費やしてぐだぐだと喋った。平均的なカップラーメンで計測すれば10個以上が優に仕上がる時間だ。これも青春なのか。
ユキの少し長目の髪は所々跳ねが出来ていて、慌てて飛び出してきたことが知れた。別に永劫の別れでもあるまいし、そこまで騒ぐこともなかろうに、と突っ込むと、ややきつい印象のある顔に、険が増した。

「すこし、厭な予感がして」
「……俺が置いてったら毎日『厭な予感』になりそう」
「そんなことないよ」

あまり茶化すと過去の失敗をつらつら上げられそうなので、加減を誤らないようにせねば。幼い頃はユキが優等生で、俺の方がすぐ居なくなるような、ふらふらした子どもだったから。その評価が現在において変わったかと言えば、―――どうだろう。

「おっはー。お、朝からラブラブだなお二人さん!」

チャイムがしっかり鳴った後、時代錯誤、かつ馬鹿げた挨拶と共に堂々登場したこいつは、成長という言葉ですら怪しいもんだ。直後に登場した担任に染色した髪ごとがっつり掴まれて、(担任も「おっはー」と言っていた)新蒔は腹話術の人形と人形師のようにやって来た。

「ホームルームやりまーす」
「起立ー」
「に、似鳥先生、オレ、席に戻りたいんだけど…」
「いやいや、遠慮するなよ新蒔。遅刻ついでだ、先生と一緒にホームルームやろう」

楽しいよ、と破顔一笑した若い教師を間近にし、新蒔は震え上がっていた。合掌。





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