紙のような安堵(1)



【斗与】



頭の中がしっちゃかめっちゃかだ。
人の出入りを聞きつける度、身を固くし、尿意を憶えてトイレに行く時もドアを少しだけ開けて、右左右、誰も通る予兆がないことを幾度も確認してから部屋を出る。まるで映画の逃亡者みたいに夜を過ごした。
安穏と寝転がる気分にもなれない。ベッドに長座し、壁へと寄りかかっては舟を漕ぎ、また意識が浅いところに浮き上がっては考える。熟睡するほど不貞不貞しくもなく、完全に覚醒したまま悩むほど、責任感があるわけでもない。この中途半端さが我ながら恨めしい。

手紙を渡してしまった(しかもチケット付きで)。
その手紙についてまともに説明が出来なかった。
さらに相手が何だか、そう、何だか、見目先輩じゃあないような、別人のような気が物凄く、する。

幾ら挨拶程度の仲で、遊んだことがなくても。一ヶ月以上共に寝起きをすれば、声や姿くらいは何となく、憶えている。
それでも、別人の「ような気」と前置きをしてしまうのは、眼鏡で像がすっかりぼやけていた所為だ。別人か、と問い詰められて、はっきり違う人間であった、と言い切るところまではいかない。
ただ、見目先輩なら、あの穏やかで忍耐強そうな彼なら、いきなりひったくるように手紙を取ったりしない、と思うのだ。俺がちんたらしていたことは、確かに否めないが。



で。
不眠に助けを借りて、いつも起きる時間よりも2時間ほど早く、俺は制服に袖を通して階下へ降りた。弁当箱は結局返しそびれて、ばあちゃんが起きると思しき時刻、ほぼ同時に箱を持って返しに行った。有難いことに怒られずには済んだ(早起きには寛容なひとなのだ)。睡眠不足で雷まで落とされたら、正直堪らない。

「今日は早かとねぇ」
「はい。ちょっと、学校に早く行きたくて。あの、見目先輩ってもう起きてますか」
「見目さん?起きとらすよ」

ほう、と笑いながら示された方を見れば、おそらく朝練を済ませ、風呂も使ったらしいさっぱり顔の見目先輩が、簾を手でかき上げながらやってきたところだった。

「おはようございます」
「おはようさんです。さ、飯ば出来とっとばい。二人ともはよ食べなっせ」
「はい。ありがとうございます」

発声も姿勢も文句の付けようなく、笑顔まで足して先輩は頭を下げた。それから、俺に目を留めて、延長された笑みを浮かべたまま言った。

「斎藤、おはよう。早いな」
「…おはようございます」
「冷めてしまうから、頂かないか?制服着てるなら、食べたらすぐ学校に行くんだろ」
「ええ、…まあ」

どうしたって歯切れの悪い返事になってしまう。俺には聞きたいことがあって、でも、はっきり言い出せない。まさか、あんたと話すために早起きしました、なんて堂々と言えない。
黒い双眸を考え深げに俺の頭の上あたりに留め、先輩は少し思案していたようだった。すぐに、「よし」と小さく頷いた。

「斎藤、今日は一緒に学校行こう」
「……え?」
「厭か?」
「いや、全然、そんなこと全然ないです!」



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