紙のような安堵(10)



【斗与】



部活のない由旗と連れだって帰宅、林双子や東明先輩、どこかに寄っていたのか少し遅くに帰ってきた黒澤とだべったり、ゲームをしたりしながら夜は更けていった。

何でもないつもりで、俺は相当気を張っていたらしい。こんなに肝が小さいとは思わなかった。
居間の消灯時間を過ぎた後も、その日の課題のことや取り留めもないことを、ユキと話していた筈、だったのだが。

「…と……、…と…よ、斗与」

ゆらゆらと身体が揺れている。ぼんやりと目を開いていくと、蛍光灯の光に髪を煌めかせて、薄く笑んでいるユキが見下ろしていた。その後ろには昏い色合いの、木目の天井が見える。俺に割り当てられた部屋じゃない、ここは、ユキの部屋だ。

横たわっていたのはクイーンサイズのベッドで、言わずもがな、ユキのものだ。
こいつが寝ていると小さく見えるが、俺だとずぼっと埋まってしまう。スプリングがしっかり効いていて、餓鬼の頃はよくこの上で跳ねて遊んだ。

元々この部屋はユキの親父さんの部屋だった。部屋の中、広さに反して荷物は割合と少ない。隣の家の窓に面したところに勉強机、反対側に本棚とコンポ。戸口の近くに箪笥が二竿あるくらいだ。
ベッドは板の間六畳以上を占領していて、ユキの親父さんが若い頃に集めたお面が、ベッドのすぐ上、欄間にずらりと並んでいた。
鬼や狐、お多福、火男、はては京劇の面まで掛けられ、下を睥睨している。この街に戻ってきて久々に見たが、幼い頃と寸分も変わらない、相変わらずの眺めだった。きっとばあちゃんが大切に保管しているのだろうと思う。―――普通に不気味だけど。

そんなユキの部屋で、お喋りに興じている内、俺は寝入ってしまったらしかった。
椅子が勉強机備え付けのひとつしか無いのが悪い。ユキが椅子に腰掛け、俺はベッドに座るのが定番になっているのだ。そのままこてん、と倒れれば柔らかいベッドがある状況で、睡魔に勝つことなど至難の業だと思う。特に色々あって、寝付かれなかった時は覿面だ。

「ねえ、もう遅いよ」
「ああ…うん、……ん…」

眠い。物凄く眠いぞ。

起こそうとしている癖に、肩を弱く揺すっていた幼馴染みの手は、そこから俺の頭へと移動していた。髪に指が絡んで、掬い上げられては落ちていく。温かくて、気持ちがいい。お前は俺を起こしたいのか、眠らせたいのかはっきりしろよ、と心の中で責任転嫁をする。彼が俺を乱暴に起こすなんてこと、夏休みにお泊まりに来ていたかつてから、一度として、無いのに。

ユキの骨っぽい指は頭皮を擽ってから、頬、首、と剥き出しの部分と撫でていった。
それはまるで俺の形とか、存在みたいなものを確かめているかのような手つきだった。浮き上がった鎖骨のあたりで、動きがぴたりと止まる。

「早く起きないと」
「………、…ぅ…」
「食べちゃうよ…」

生温い空気が、さっきまでユキが辿っていた場所へ掛かった。それは犬、とか猫とかが、何かを食べようと口を大きく開けたときの、あの感じとよく似ていた。
身動きを放棄するほどの睡魔に負けて、俺は、ゆっくりとやってくる気配に体躯を無防備に曝している。だって此処には、警戒すべきものは無い筈だから。

薄い腹のあたりにじんわりと温かい感触が拡がった。掌はゆっくり流れて、左脇腹までを優しく撫で上げていく。やがて、首の骨が隆起する手前、窪みのところに濡れた感触が這った。
ぬるくやらかいそれは、首筋、頬、耳の根元へと移っていく。耳の軟骨のあたりをかりり、と噛まれた。酷く鋭くもないが、確かに物を食い千切る力を持った、多分、――――人間の歯だ。


「と、よ」


囁くように、意識に流し込むように、由旗は俺の名前を呼んだ。
それらが俺に何らあたうるものがないのだと、彼は充分に知り得ていた。けれど、賽の河原の石積みのように、いつか何処かへ届くのだと信じている声音だった。


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