(5)



やはり、友人も、無役になった花護たちとは違う通路から通されていたらしい。
入ってきた時とは別の扉を示され、燭を伴って廊下を進む。
宮殿とはいえ、一度部屋から出てしまえば、馴染んだ、底冷えのする空気が充ちていた。広いだけに尚更かもしれない。

『そなたが悟ったこと、ゆめゆめ忘れるでないぞ』

別れ際、蜜月は僕にそう言った。何のことかと思い、すぐに気付いた。

花精はただの道具ではない、ということ。

…では、彼女は僕の心を読んだのだろうか。その答えはなく、外見に不相応な慈悲深い笑みを浮かべた姿は、合わさった扉の向こうに呑まれて消えた。

「お前、蜜月に何か馬鹿なことを言ったんだろう」
「えっ」

当たり前のように(という表現はおかしいのだけれど、僕の率直な気持ちだった)、隣を歩いている燭に言われて、僕はびくりと肩を揺らした。彼の顔をまともに見られない。筆舌に尽くしがたい面映ゆさがある。

「…その、百人も娶せの儀をするのは、疲れませんか、と…」
「ぶっは、そんな事聞いたのかよ」
「…ええ、まあ…」

くつくつと喉で笑われて、さらにばつが悪くなる。まるで子ども扱いだ。…そう、子ども扱いだ。逢った時からずっと。

「そりゃ疲れもするだろうが、お役目だ、辞められもしないだろうよ」

至極真っ当なことを言われて、頷く。辞められてしまったら、僕らが困る。

「あの」
「なに」
「その、さっき、蜜月様が仰っていた、息が切れるのなんのというのは…」
「あ−…」

燭は後頭部に手を当てて、あさっての方を見ている。彼の衣は首元が露わになるつくりだったので、そこを少し捩ると、滑らかな白い膚がつるりと現れた。自分の、唾を飲み込む音がやたらに大きく聞こえる。

「俺が長い、からだろ」
「長い」と鸚鵡返しに、僕。彼は「うん」と言った。
「南天の花精にして二代目だ。…どう言えば分かるかな…。俺の先代は、庭が興されるのを見ている」
「えっ」
「…と言う訳で、いたわってくれよ若人」

ああ、でも爺呼ばわりは無しな、言ったらしばくぞ、と不本意そうに付け足す様は、口にはしなかったが、正直可愛く思えた。もっと何か言わないだろうか、と見上げていたら、手刀が降ってきた。蜜月といい、彼といい、冬園の花精は口よりも手、なんだろうか。

このひとを道具だと思うなんて、頼まれたって出来そうにない。


「…そういえば、何か持っていくもの、とか、用意するもの、とか、ないんですか」
「人間と違って家財の類なんて無いんだよ。花精は身一つで嫁ぐもんだ。って言うか、アトリ、お前なんで敬語なの」
「年上のひとは敬わないと…」
「なんだよそれ厭味かよそれ」

彼が「アトリ」、と僕を呼ぶ度、心臓がぎゅっと鷲掴まれたような気持ちになる。燭の発音はいつも呼ばれるものとはちょっと違くて、それが尚のこと、良かった。


廊下と直結した部屋に到着すると、きらびやかな衣を纏った花精を引き連れた人々が興奮した面持ちで言葉を交わしていた。
その人の間を掻いて、鼠色の袍が現れた。

「…跡俐!…良かった!」
「礼戴」

彼の手はほっそりした誰かの手と繋がっている。礼戴に続いてやってきたのは、同じ年頃に見える娘だった。

「お前なら絶対大丈夫だって思って、…って、…で、でか!」
「…でかくて悪かったな。人間の男なら普通、つうか、お前が小さいんだよチビ」と燭。
「えっ、なにこれがお前の花精なの?」と礼戴は泡を食ったように言う。「なんか普通に、…人間みたいじゃねえ?」
「礼戴さま、いけません」と少女が困り顔で窘めた。「…ごめんなさい、燭さま。我が花護に代わって非礼をお詫びします」
「気にしてないから別にいいよ」

燭はあっけらかんと言い、百花王にしたみたいに礼戴の花精を撫でて遣っている。娘は幸せそうに目を細めている。…少し、羨ましい。

「それより、良かったな、咲輪(さくのわ)。今度は死なれるなよ」
「はいっ!」
「おいおい…死なれるなとかってどういう意味だよ」

聞きとがめた友人が突っ込むと、燭は口の端を皮肉っぽく吊り上げてみせる。

「咲輪は、前の花護と死別したんだ。娶りの儀の直後に、野戦で。
花護においていかれた花精は憐れなもんだ。…お前さんも精々二の舞になるなよ、咲輪が哀しむ。こんな可愛いやつはそう滅多にいないぜ」

言って、僕へと振り向く。

「…俺の場合は年と丈夫さだけが取り柄だから、花護になっちまった探花の君には申し訳ない限りだが」
「そんなこと、――ありません!」
「え、跡俐、なんで敬語…」

とか何とかやっていたら、急に背後がざわつき始めた。
幾人かの花護たちが僕らの向こうを見、そちらへと駆け寄っていく。不思議に思って歓声の方を見遣ると、あの、正灰旗の男がうつくしい女性を連れて現れたところだった。

「おめでとうございます、――様!」
「おめでとうございます、流石ですね!」

自分達も番を得ておいて、「流石」もないと思うのだが、言われた方は満更でも無さそうに手を振って応えていた。付き従う花精の表情のなさが対照的だ。
厭な予感がして、僕は燭の袖を掴んだ。次いで礼戴の名も呼ぶ。目立たない、部屋の隅にでも移った方が良い気がする。

「なんだアトリ。厠か?」
「違います、早く、」
「…おや、北央の田舎者も、無事に番をもったようだな」

高圧的な声が場を打ち、僕は内心で臍を噛んだ。…間に合わなかったか。
仕方なしに振り向いて、さり気なく燭を背中に回した。僕よりも上背のある彼が隠れきることはないと分かっていても、…それでも。
掴んだ手首は細く、一瞬、現況も忘れてぞっとなる。

「…御陰様で」
「…ふん。…しかし、なんだ、それは」と旗人は鼻で嗤った。「雄か。…しかも大分に薹が立っている。顔つきも色も地味だな。何の花精だ。野草か」

そこかしこで、蔑みをたっぷりと含んだ笑い声が上がった。目の奥で突如火花が起きたように、かっと熱が生まれる。空手が、剣の束に掛かったのはほとんど無意識だった。燭の手が僕のそれを握り返さなければ、きっと、抜いていた。

「ほう、やるか」

目聡く手の動きに気付いた正灰旗は、小馬鹿にしたように言う。彼の後ろで控えていた花精が初めて感情を示した。顔を蒼白にし、たおやかな手を旗人に掛けた。

「なりませぬ、あの方はわたくしたちの、」
「黙れ、花精風情が主に偉そうな口を叩くな」
「…っ、」




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